中山道を歩く/なかせんどう

中山道について

中山道は山岳地帯の中部日本を縦断する街道

従って冬の寒さは格別厳しいが夏は涼しい山道となる。しかも、東海道のように大雨による「川止め」(宿代がかさむ)がなく、旅籠の宿賃も割安で庶民には人気の街道だった。また、中山道には「川止め」「舟渡し」がないので京の公郷や女性などにも好まれた。

中山道には分岐する街道が多い

奥州街道(114宿)ほどではないが東海道より10里弱長い街道である。中山道からは川越街道秩父街道、下仁田街道、日光例幣使街道三国街道北国街道佐久甲州街道、権兵衛街道、美濃路などが分岐する。

中山道のルート

街道のルート

中山道は江戸の日本橋と京都の三条大橋を結ぶ街道。現在の滋賀県草津と京都三条大橋の間は東海道に合流。

(草津宿)-(守山宿)-(野洲宿)-(武佐宿)-(愛知川宿)-(鳥居本宿)-(番場宿)-(醒井宿)-(柏原宿)-(今須宿)-(関ヶ原宿)-(垂井宿)-(赤坂宿)-(美江寺宿)-(河渡宿)-(加納宿)-(鵜沼宿)-(太田宿)-(伏見宿)-(御嵩宿)-(細久手宿)-(大湫宿)-(大井宿)-(中津川宿)-(落合宿)-(馬籠宿)<馬籠峠>(妻籠宿)-(三留野宿)-(野尻宿)ー(須原宿)-(上松宿)-(福島宿)-(宮ノ越宿)-(薮原宿)-(鳥居峠)-(奈良井宿)-(平沢宿)-(桜沢宿)[省略](西餅屋宿)<和田峠>(和田宿)-(長久保宿)<笠取峠>(芦田宿)-(茂田井宿)-(望月宿)-(八幡宿)-(塩名田宿)-(岩村田宿)-(小田井宿)-(追分宿)-(沓掛宿)-(軽井沢宿)-(坂本宿)-(松井田宿)-(安中宿)-(板鼻宿)-(高崎宿)-(倉賀野宿)-(新町宿)-(本庄宿)-(深谷宿)-(熊谷宿)-(鴻巣宿)-(桶川宿)-(上尾宿)-(大宮宿)-(浦和宿)-(蕨宿)-(板橋宿)-(江戸・日本橋)

中山道の別名

中山道は木曽路、木曽街道、吉蘇路、岐蘇海道、吉阻街道とも呼ばれた。
古代の東山道に該当する。また、この街道は最初「中仙道」と書いたが1716年から「中山道」と改められた(東山道の中筋の道の意)

中山道の歴史

漂泊の俳人・松尾芭蕉は中山道を2回通る(1684,1688)

芭蕉は、中山道をいずれも美濃から江戸に向かっている。

皇女和宮[かずのみや]、降嫁の道(1861)

和宮(1846~77)は仁孝天皇の第8皇女にして孝明天皇の妹、つまり明治天皇の叔母にあたる。

同じ年(15才)の将軍徳川家茂との政略結婚を不承不承、承諾した和宮は、ひとえに公武合体の犠牲者だった。結局、夫・家茂の病没(1866)により降嫁の意図は水泡に帰すのだが、京から中山道を通ったこの婚礼行列は空前絶後の大行列である。
総勢3万人、行列は長さは50㎞に及び行列が一宿を通過するのに4日を所要したという。京都を10月20日に出発し江戸には11月15日に到着した。晩秋の木曽路の景観は不安と悲壮感が漂う和宮の心を癒したであろうか。三留野宿、上松宿、薮原宿、本山宿、下諏訪宿、和田宿と宿泊し中山道を東進した。

赤坂宿まつり

赤坂宿まつり

毎年11月上旬の「中山道赤坂宿まつり」には和宮が登場する。大へんな人気である。

赤坂宿まつり

赤坂宿まつり

その3年後、水戸天狗党が一部、中山道を通り京都を目指す(1864)

常陸(今の茨城県)の筑波山に挙兵した天狗党は笠取峠、和田峠など中山道を主に利用して京都に向かったが、幕府の討伐令や諸藩との戦を避けるため、その進路の変更を余儀なくされた。下諏訪からは伊那街道を南下し清内路[せいないじ]からは再び中山道の馬籠宿に逗留している。これは島崎藤村の「夜明け前」(1929)に記されている通りである。

明治天皇の第4回巡幸路(1880年6~7月)

甲州街道(参照されたい)のあと、松本に入られその後は中山道を大井まで南下された。(本山宿、福島宿、三留野宿、大井宿に宿泊)。木曽路に関連の石碑が多いのは、このためである。

芭蕉を慕い、正岡子規も歩いた

JR木曽川駅近くの見染塚

JR木曽川駅近くの見染塚

芭蕉を慕う正岡子規は中山道を逆コースで東京から西へと歩いた。洗馬[せば]までは善光寺街道を南下し、本山、福島、須原、馬籠などに宿泊している(1891年)。
伏見からは木曽川を船で下り犬山を訪れたあと木曽川停車場から汽車に乗り大阪に向かった。木曽川には正岡子規が汽車待ちの休息中、駅前の茶店で16歳の少女を見染めたという秘話が残る。

中山道を歩く旅&アドバイス

「歴史の道」にセレクトされている木曽路11宿(馬籠宿~贄川宿[にえかわ])21里をクローズアップした。具体的には「是より北、木曽路」の石碑から「是より南、木曽路」までである。
下諏訪宿は甲州街道を参照されたい。なお、東信濃路からは和田峠と笠取峠周辺を取り上げた。中山道最大の難所、和田峠越えは魅力あるコースであるが、前後の下諏訪宿から和田宿までは約22㎞の長丁場。途中に食事処はないので要注意。勿論、旅館もない。

木曽路には重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)が三ヵ所もある。

中山道にある重要伝統的建造物群保存地区は妻籠宿、奈良井宿、平沢宿である。特に妻籠宿は日本でも異例の早さで町並みが復元保存された(1976年重伝建指定)所である。深山幽谷の木曽路の中で特に馬籠宿~妻籠宿は白眉のハイキングコースだ。

中山道歩き地図

中山道歩きルートプラン

  中山道歩きのコース 見どころ、ハイライトなど
中山道
1 栗東宿~武佐宿~鳥居本宿 武佐宿、五個荘の町並み、高宮宿
2-1 摺針峠~番場宿 番場宿
2-2 番場宿~醒井宿 番場宿
2-3 醒井宿~柏原宿 醒井宿
2-4 柏原宿~今須宿~関ヶ原宿 今須宿
2-5 関ヶ原宿~垂井宿 関ヶ原宿、垂井一里塚、垂井宿
2-6 垂井宿~赤坂宿 外部サイト 青墓
2-7 赤坂宿~呂久の渡し 赤坂宿、呂久の渡し
3 美江寺宿~太田宿~平岩(~細久手宿) うとう峠、太田宿、謡坂
4 細久手宿~大井宿~落合宿 琵琶峠、十三峠
5 新茶屋~馬籠宿 藤村記念館、清水屋資料館、展望台
6 馬籠峠~妻籠入口 一石栃白木改め番所跡、大道標
7 妻籠宿の散策 光徳寺、奥谷郷土館
8 文化文政風俗絵巻の行列 様々な旅人や花嫁の姿
9 三留野宿~須原宿 桃介橋、与川道、定勝寺
10 上松宿~福島宿 臨川寺、寝覚の床、木曽の桟
11 原野~宮ノ越宿、薮原宿 義仲館、徳音寺、宮川資料館
12 鳥居峠越え 丸山公園、御嶽山遥拝所
13 奈良井宿の散策 中村邸、上問屋史料館
14 平沢~桜沢 贄川関所、桜沢茶屋本陣
15 和田峠越え 和田古峠、御嶽山の展望
16 和田宿~長久保宿 和田宿本陣、河内屋
17 笠取峠~芦田宿 松並木公園
18 茂田井宿~望月宿 茂田井の町並み、大沢酒造、望月宿の屋号看板
19 八幡~軽井沢宿~碓氷峠 軽井沢、碓氷峠
20 坂本~安中~本庄 五料茶屋、杉並木、武家屋敷
21 深谷宿~蕨宿~江戸 深谷宿、氷川神社、蕨宿