三国街道歩き旅アドバイス 高崎から寺泊へ

三国街道は、高崎宿で中山道から分かれ、北陸街道の寺泊宿へと続く街道である。

この中でも三国街道のハイライトは三国峠登山口(浅貝側つまり新潟側)から永井宿までは約3時間の長丁場。全くの山道オンリーである。だから水分補給や体調管理に万全の注意を払ってほしい。食事処は猿ヶ京までないので要注意。

三国街道歩きコースプラン

三国街道歩きのルート

  コース 三国街道の見どころ、ハイライトなど
1 長岡~宮内 河井継之助記念館、吉沢商店の土蔵
2 榎峠~湯沢 榎峠古戦場パーク、雪国館
3 三俣~二居 中の峠、二居峠
4 二居~苗場 二居宿本陣、山鳥原遊歩道
5 三国峠越え 三国峠、大般若塚
6 永井宿~猿ヶ京 永井宿、おがんしょ巡り
7 猿ヶ京~下新田 与謝野晶子紀行文学館、須川宿
8 中山~北牧 中山宿、なぎなた坂
9 渋川~高崎 高崎城址公園

三国街道の地図

三国街道のルート

(長岡)-(摂田屋[せったや])-[榎峠]-(小千谷[おぢや])-(浦佐)-(五日町)-(六日町)-(塩沢)-(関)-(湯沢)-(三俣[みつまた])-[二居峠]-(二居[ふたい])-(浅貝[あさかい])-[三国峠]-(永井)-(猿ヶ京)-(相俣)-(須川)-(布施)-(塚原)-(中山)-(横堀)-(北牧[きたもく])-(金井)-(渋川)-(金古)-(高崎)<中山道に合流>

三国街道周辺情報

三国街道周辺は温泉ファンには、こたえられない所だ。
湯沢温泉、貝掛温泉、法師温泉、猿ヶ京温泉、伊香保温泉などが点在している。

三国街道の別名

三国街道は三国通り、殿様街道とも呼ばれていました。

三国街道の街道名

三国街道の名は上野、信濃、越後の3カ国の国境をなす三国峠に由来する。

三国街道の歴史

古代~中世の三国街道

三国街道は古代からの要路であり万葉集(8C.成立)に三国山が詠われている。天台宗の僧、堯恵[ぎょうえ](1430~?)は飛騨から善光寺→三国峠→草津温泉→武蔵野、相模に至り、その後再び三国峠を越え柏崎に戻った(1486)。翌年にも三国峠を越えている。

北国紀行はその旅行記である。

三国街道は上杉謙信(1530~78)が関東へ出陣したルート

三国街道は上杉謙信が関東に入ったルートである。越後の戦国大名長尾景虎(上杉謙信)が鎌倉鶴岡八幡宮で上杉憲政から正式に関東官領職を譲られたのは1561年のことである。この前後に謙信の越山(三国峠越え)は十数回にも及んでいる。

三国街道は江戸時代の参勤交代道

長岡、与板、村上、新発田、村松藩(村上藩の支藩)などの、各藩が三国街道を利用した。諸大名以外では佐渡奉行が往来した。大久保長安[石見銀山街道参照]もその一人である。

佐渡奉行は1713年から2人制となり、赴任時は三国街道、帰府時は北国街道を通行した。1840年に赴任した川路聖謨[かわじとしあきら](1801~68)は任地・佐渡への紀行「島根(相川のこと)のすさみ」を残している。
それによれば江戸を7月9日に江戸を出発し21日に寺泊に到着した。

三国街道は五街道に次ぐ要路であり、江戸と越後を結ぶ最短路

三国街道は天領(江戸幕府直轄地)の佐渡金山への最短ルートとして重要視された。佐渡の金が江戸の御金蔵に運ばれた道である。いわるゆ佐渡三道の一つ(他に越後街道、北国街道)で上州高崎~越後寺泊まで幕府によって整備された。

三国街道は鈴木牧之、自著出版に賭けた情熱の道

鈴木牧之(1770~1842)は塩沢生まれ。縮[ちぢみ](越後上布[じょうふ])の仲買い商人だったが、若い頃から文芸に親しみ文才があった。そこで雪国を紹介する著作出版を志したのであるが、幾多の紆余曲折があり、長年の苦労の末、67才で初志貫徹し「北越雪譜」を著した。雪国の自然や文化、民俗習慣、住民の暮らしと哀歓を紹介した「北越雪譜」は、発売されるとたちまちセンセーションを起こし江戸時代のベストセラーとなった!

三国街道は若き日の河井継之助、心はずむ江戸遊学の道

河井は幕末の長岡藩を主導した家老である。若い頃は陽明学に心酔し行動を重視した。三国街道を南下し初めて江戸へ遊学したのは25才の時である。佐久間象山に師事し勉学に励んだ。横浜へも行き、西洋の知識を学び、ナポレオン戦争にも興味を持った。北越戊辰戦争で展開した陽動作戦、奇襲、先制攻撃などの戦術はナポレオン戦術を彷彿させる。

三国街道と清水峠(1,448m)との覇権争い

明治時代になり清水峠越えが国道1等線に昇格した(1874)。

理由は急坂ながら峠越えが一つで済むからである。実は上杉謙信もこの清水街道を初期は利用していた。三国街道は逆に、浅貝~六日町間が県道に降格した(1885)。しかし数年後、清水峠越は通行不能となる。冬期の豪雪による損傷などが激しいからである。今は登山道や廃道マニアが利用するのみである。

物資流通と三国街道

越後米や酒、三条の金物、越後の織物(塩沢紬[つむぎ]、小千谷縮[ちぢみ]、十日町絣[かすり])などが輸送された。また酒造杜氏[とうじ]や大工、木挽、鼓女[ごせ]、角兵衛獅子なども上州を目指した。逆に佐渡金山で使役される罪人が護送され無宿人や馬喰商人も三国街道を通行した。

三国街道は「歴史の道」が4ヵ所も点在する街道

今回の歩き旅では二居峠と三国峠を重点的に歩いた。
他の2ヵ所(とり坂峠と栃原峠)はコースと整備に不安が残り敬遠した。

現代の三国街道周辺

清水峠の南西を清水トンネルが貫通し上越線が開通(1931)。その後、国道17号線が開通(1959)。更に関越自動車道や上越新幹線(1982開業)が開通している。