北国街道について
別名
善光寺道、北国往還、信濃道、信州路、加賀街道。
信仰の道
古くから善光寺山系など巡礼の旅人が往来した。
軍略の道
上杉謙信の頃には、すでに利用されていた。
金銀輸送の道
佐渡から江戸への金銀の輸送路として重要視された(佐渡三道の一つ)。地形の起伏や危険が少ないという安全性の面で重宝された。逆に相川金山の採金夫として、江戸の罪人が通った罪人送りの道でもあった。
参勤交代路
北陸諸藩の大名が利用した。特に加賀百万石の前田家は大変な行列で、その行列の出費は地域経済を大いに潤した。ちなみに金沢からの大名行列は、ほとんど日本海沿いを東進し、直江津、高田経由の北国街道を利用した。
越前、志賀、垂井を経由するルートは極めて少ない
。
菅江真澄、伊能忠敬、小林一茶なども歩く
菅江は、郷里の三河を出奔したあと、善光寺を経由して越後、のち東北に向かった。(1784年)逆に、伊能忠敬は、第3次測量(1802年)の際、日本海沿岸を南下し、直江津から信州に入り、中山道で江戸に戻った。