北国街道 一日目の街道歩き旅
[追分宿~小諸宿 編]
追分宿~小諸宿の位置
追分宿西口
今回の歩き旅は中軽井沢駅の西方、約4Kの追分宿からスタートする。左は茶屋つがるや跡。
明治天皇碑(右)
第3回巡幸は1878年8月30日に出発。ここ追分宿には9月6日に到着。
浅間神社の芭蕉句碑
「ふき飛ばす 石も浅間の野分(のわけ)哉」
高札場
追分宿高札場(1983年復元)
堀辰雄文学記念館
作家堀辰雄が晩年を過ごした邸宅。追分宿本陣門の裏門が建つ。
分去れの石造物群
手前に道祖神。その後に道標が建ち、正面には「東、二世安楽追分町」とある。写真では見えないが、右側面に「従是 北国街道」左は「従是中山道」と刻まれている。つまり、ここは北国街道(右)と中山道(左)の分岐点である。
森羅亭万象の歌碑
「世の中は、ありのままにぞ霰(あられ)ふる かしましとだに心とめぬれば」森羅亭は平賀源内(江戸中期の植物学者)の門人。
脇本陣粂屋跡
小諸藩の中で一番人気があった旅籠だったようだ。
問屋山兼跡(山兼酒造)
幕末に宿場の問屋として建てられたと伝わる。
本陣問屋場跡
切妻屋根の建物で、2階部分が張り出している。出染(だしばり)造り。
小諸宿本陣主屋
参勤交代の際、大名などが休泊した建物。
説明板
小諸懐古園(1981.観光タバコ)
懐古園チケット
懐古園
小諸城三の門(懐古園の玄関口)。門の上部には徳川家達(元貴族院議長)の筆による扁額が掛かっている。
大手門
小諸城の表玄関(正門)にあたる。徳川家康の将、仙石秀久が築城した時の建築。国の重文。
藤村記念館
小諸は島崎藤村ゆかりの町。1899年かつての恩師に招かれて小諸義塾に赴任した。この記念館には藤村の関係資料などが保管されている。
島崎藤村の銅像
若い頃の容貌ではなかろう。恐らく50歳前後。初の長編小説「破戒」を自費出版したのが34歳頃。歴史小説「夜明け前」の執筆に着手したのは57歳。
文化人切手(1993年発行)
島崎藤村(1872~1943)。中山道馬籠宿の名家(本陣・問屋・庄屋)に生まれる。
小諸はいわば第2の故郷である。
藤村詩碑
「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ 緑なす 繁縷(はこべ)は萌えず若草も藉(し)くに・・・・・」(千曲川旅情のうた)1927建。
黒門橋
本丸と南丸の間にある。空堀に架かる。
小諸領境界石標
「従是西、小諸領」(1806建)
天守台石垣
三層の天守閣があったが、落雷で焼失した。その後、徳川の政策により再建されなかったという。
小諸義塾跡
藤村の恩師、木村熊二が経営した私塾。藤村はここで英語、国語の教師として赴任した(27歳の頃)
「惜別の歌」歌碑
「遠き別れに耐えかねて この高殿に登るかな 悲しむなかれ 我が友よ 旅の衣をととのえよ」1944年作詩(島崎藤村)
北国街道歩きコース
コース | 見どころ、ハイライトなど | |
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北国街道 | ||
1 | 追分宿~小諸宿 | 分去れの石碑、懐古園 |
2 | 海野宿~上田宿 | 海野宿資料館、信濃国分寺跡、上田城 |
3 | 坂木宿~下戸倉宿~上戸倉宿 | 本陣(小出家)、笄の渡し、下の酒屋 |
4 | 矢代宿~八幡原~雨宮 | 矢代宿脇本陣跡、八幡原史跡公園 |
5 | 吉田~田子 | 稲積の一里塚、徳間の道標、田子神社 |
6 | 田子~牟礼宿 | 高山寺、行人塚 |
7 | 牟礼宿~小玉峠~古間宿 | 武州加州道中堺の碑、小玉古道 |
8 | 柏原宿~野尻宿 | 一茶旧宅、野尻湖 |
9 | 関川宿~毛祝坂~田切宿 | 関川の関所、浄善寺 |
10 | 田切宿~二俣宿~関山宿 | 田切古道、関山神社 |
11 | 北沢~二本木宿 | 北沢一里塚、安楽寺 |
12 | 中郷~藤沢~新井 | 白山神社、新井別院 |
13 | 高田の散策 | 旧師団長官舎、町屋交流館、高田城跡 |
14 | 松代の散策 | 真田邸、松代藩文武学校、松代城跡 |
15 | 福島宿, 須坂 | 馬頭観音道標、田中本家博物館 |
16 | 小布施~豊野、神代宿 | 岩松院、北斎館、栗の小道 |
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