北国街道 二日目の街道歩き旅
[海野宿~上田宿 編]
海野宿~上田宿の位置
力士・雷電の碑
雷電の初土俵は24歳(1790年)。引退(1811)まで254勝10敗と無敵の大関だった。(優勝25回)
海野宿の入口
右の白鳥神社は東信濃のもと豪族・海野氏の氏神だった。海野の歴史的な町並は1987年、国の重伝建に指定された。
美しい用水
旅人が足を洗ったり、馬の飲み水となった。用水の南側は日陰側と言い、昔は馬をつないだり、荷を置いたという。
海野宿資料館
もと旅籠屋で、明治以降は養蚕農家だった。
一茶の句碑
資料館前に建つ。「多過ぎ乃 臼の谺(こだま)の寒哉」
海野宿
北国街道の宿駅として開設(1625)された時は、田中宿の間宿(あいのしゅく)と定められた。
変遷
その後(1742)、大洪水で大きな被害を受けた田中宿に変わり本宿となる。
小野家
本陣跡(左に石碑)の小野家の長屋門。
卯建(うだつ)が残る
福島屋の立派な卯建。
八日堂(別称)
現、国分寺の仁王門。奈良時代の国分寺跡は北方にある。
国分寺本堂(中央奥)
近世の堂としては、東信濃地方最大の建造物。(1860建)
信濃国分寺跡
公園として整備されている。(R18号沿い)
下常田の町並み
国分寺から2Kmほど進んだ地点。まもなく上田駅前に近づくが、街道沿いには古い町並みが残る。
池波正太郎記念館
「真田太平記」の著者 池波正太郎(1923~90)の記念館。シアターを常設している。
柳町
情緒ある石畳通りが約200m続く。
岡崎酒造
創業350年の造り酒屋。銘酒「亀齢」の醸造元。
昔ながらの町並み
上田は、江戸時代 北国街道の宿場町として発展した。柳町の道筋には昔ながらの雰囲気を残す。
柳町の「おお西」
民芸館かと思いきや、そば屋さん。玄関の武人のような像が目をひく。
保命水(左)
町中の人々の生活用水。ここの水は街道を往来する人など多くの人々に利用された。
なまこ壁の土蔵
手前は柳町の出入り口にあたる緑橋。
上田城跡公園
城門は復元された東虎口櫓門。
角櫓(すみやぐら)(右)
真田父子が徳川軍の侵入を防いで戦った上田城角櫓。
真田石(左)
城内で最も大きな石。横は約3m、高さ約2.5m。
真田神社
歴代上田藩主を祀っている神社。
左は真田軍の赤い兜。
真田井戸
城北の太郎山麓の砦に通じる抜け穴。この上田城が包囲されても兵糧の運搬、兵の出入りに不自由しなかったという。
真田幸村の騎馬像
上田駅前には地元が誇る名将、真田幸村(1567~1615)の像が建つ。
真田幸村
大坂冬の陣、夏の陣で大活躍した名将。徳川家康の胆を冷やさせるほどの奮戦をした。
上田藩主居館跡
明治維新まで続いた上田藩政の中心地であった。現上田高校の正門となっている。
真田丸 大河ドラマ館
真田丸モデルの甲冑〔赤備え〕
街道沿い
常磐城2丁目の新町コミュニティ集会施設
下紺屋町の道標
「右、せんかうし(善光寺)」(1692建)
新町の道標
「右、北向観世音」(1860建)。北向観音(常楽寺)は別所温泉にある
〔参考写真〕別所温泉の安楽寺
日本唯一の八角三重塔は長野県初の国宝に指定された。常楽寺のすく近くにある。
北国街道歩きコース
コース | 見どころ、ハイライトなど | |
---|---|---|
北国街道 | ||
1 | 追分宿~小諸宿 | 分去れの石碑、懐古園 |
2 | 海野宿~上田宿 | 海野宿資料館、信濃国分寺跡、上田城 |
3 | 坂木宿~下戸倉宿~上戸倉宿 | 本陣(小出家)、笄の渡し、下の酒屋 |
4 | 矢代宿~八幡原~雨宮 | 矢代宿脇本陣跡、八幡原史跡公園 |
5 | 吉田~田子 | 稲積の一里塚、徳間の道標、田子神社 |
6 | 田子~牟礼宿 | 高山寺、行人塚 |
7 | 牟礼宿~小玉峠~古間宿 | 武州加州道中堺の碑、小玉古道 |
8 | 柏原宿~野尻宿 | 一茶旧宅、野尻湖 |
9 | 関川宿~毛祝坂~田切宿 | 関川の関所、浄善寺 |
10 | 田切宿~二俣宿~関山宿 | 田切古道、関山神社 |
11 | 北沢~二本木宿 | 北沢一里塚、安楽寺 |
12 | 中郷~藤沢~新井 | 白山神社、新井別院 |
13 | 高田の散策 | 旧師団長官舎、町屋交流館、高田城跡 |
14 | 松代の散策 | 真田邸、松代藩文武学校、松代城跡 |
15 | 福島宿, 須坂 | 馬頭観音道標、田中本家博物館 |
16 | 小布施~豊野、神代宿 | 岩松院、北斎館、栗の小道 |
Copyright(C) 街道の旅.com All rights reserved.