北陸道 十六日目の街道歩き旅 [市振~親不知~糸魚川編]
境~市振
境番所跡
境番所跡(小学校跡地)
境一里塚
番所跡から約500m進むと境一里塚があり傍に道路元標が建つ。
境川橋
この境川橋を渡ると、いよいよ最終県入りだ。
滋賀、福井、石川、富山そして新潟県に入る!
市振の関跡碑
街道沿いの市振小には市振の関跡碑と説明板が建つ。
市振宿
明治天皇碑(写真右)が建つ市振宿の町並み。
桔梗屋跡
松尾芭蕉が宿泊した桔梗屋跡(写真右)。
長円寺
長円寺境内には芭蕉句碑が建つ。
「一つ家に遊女も寝たり萩と月」。同行を望んだ伊勢参りの遊女を振り切ったのは、どうもフィクションらしい。
海道の松
市振宿の東端に立つ海道の松(写真中央)は往時の雰囲気を残す。
市振~親不知
親不知
親不知[おやしらず]に近づいてきた。ここは旧国道のコミュニティ・ロードだから安心だ。ここに入るまでのR8号は要注意。トラック等の通行が多く危険を感じる。
親不知
ふと上を見あげると岩壁に如砥如矢と刻字されている。左側にも天下の嶮とある。
如砥如矢
これは、旧国道が出来た時の喜びの表現である。
砥石のように滑らかに矢のように速く通れるということ。
水上勉説明板
少し進むと説明板があり水上勉(若狭出身の作家)の文が紹介してある。越後の親不知を私は好きである。美しい日本の風土の中で、私はいちばん親不知が好きである(1965)。
ウォルター・ウェストン像
展望台の前には北アルプスの開発者ウォルター・ウェストンの像が置かれている。彼は1894年に、ここを訪れている。
説明板
説明板によれば、明治天皇北陸巡幸(1878)を契機に国道開通運動が盛り上り、東西日本を結ぶ日本海側の大動脈が完成した(1883)。
親不知のミニチュア
展望台の壁面に、海から見た親不知の壁のミニチュアがあった。
これはグッドアイディア、よくわかる。
親不知
親不知は北陸道最大の難所。北アルプスの北端が日本海に没する所。
高さ400mほどの断崖絶壁に日本海の波が打ち寄せる。
親不知
昔の旅人は断崖下の狭い砂浜を素早く通行した。
それには大変な危険と苦労が伴った。平安時代には貴族の愛児が波にさらわれたという。
親不知~青海
青海~田海
田海~糸魚川
雁木通り
糸魚川にやってきた。ここは駅前の雁木[がんぎ]通り。
北陸独自の和風アーケードである。
毘沙門天
この雁木通りには石像8福神が配置されている。
これは毘沙門天(写真右)。
奴奈川姫
これは奴奈川[ぬながわ]姫(写真中央)。出雲から大国主命[おおくにのぬしのみこと]がはるばる求婚に訪れたという伝説が残る。
相馬御風宅
街道沿いにある相馬御風宅(写真左)。
相馬御風宅
相馬御風は中学卒業時、明星に短歌を掲載したという早熟の才人。良寛研究に没頭。
ちなみに母校早大(当時は東京専門校)校歌「都の西北」は彼の作詞。
加賀の井酒造
この加賀の井酒造は加賀百万石の殿様が参勤交代の際、本陣として利用した場所。
北陸道歩きのコース
コース | 見どころ、ハイライトなど | |
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