北陸道 四日目の街道歩き旅 [新保~木ノ芽峠~二ツ屋編]
葉原~二ツ屋
明治天皇碑
明治天皇碑(写真左)が建つ葉原の景観。
道中の風景
新保宿(敦賀市)へは、この坂道を登っていく。
新保
水戸天狗党が木ノ芽を越えて、この新保に達したのは12月11日(1864)のこと。降雪の猛威に悩まされ、ついにここで進退窮まったのである。
陣屋
武田耕雲斎が逗留した陣屋。
説明板
やがて道は分岐するが、左の道を進む。
分岐点には「道元禅師入越慕古の道」と説明板が建つ。
碑
「親鸞は越後国府へ、蓮如は越前吉崎へ」という碑が建つ。
中部北陸自然歩道
この古道は中部北陸自然歩道でもある。
木ノ芽峠へは、あと1kmほど。
中部北陸自然歩道
水戸天狗党は寒さに苦しみながら、この雪深い山道を下ってきた。
道中の風景
展望が開けてきた。
峠まで、あと少しだ。
明治天皇御膳水
峠の手前には明治天皇御膳水碑が建つ。
北陸巡幸の際(1878)、峠の茶屋で使用した水である。
木ノ芽峠茶屋
ようやく木ノ芽峠の茶屋が見えてきた。福井藩の南の拠点で、関所的役割を果たした。
木ノ芽峠茶屋
茶屋の当主、前川氏は平家(平貞盛)の末裔で愛犬とここに住む。
「だんごあります」という貼り紙がある。
明治天皇碑
明治天皇も、この茶屋で小休止された(写真右に碑)。
中央奥へ登ると、木ノ芽城址がある。
道元大禅師碑
茶屋の向いには永平寺を創始した道元大禅師碑が建つ。師は病気療養のため、この木ノ芽峠を越え(1253)、京都へ向かった。見送りの弟子と涙ながらの訣別だった。
峠の碑
立派な峠の碑が建つ。
前川氏の愛犬(写真左)が峠を警固する。
標高628m。
言奈地蔵堂
峠から10分ほど、ゆるやかな坂を下ると言奈[いうな]地蔵堂が見えてきた。
言奈地蔵堂
この地蔵の前で旅人を殺した馬子が因果応報、その旅人の息子にここで仇討されたという伝説が残る。
石畳
今庄365スキー場付近には石畳が残る。
笠取峠説明板
笠取峠の説明板が建つ。
そういえば中山道の長久保宿方面に同名の峠があったぞ。
道元禅師碑
ここにも道元禅師碑が建つ。2002年建。
慕古の道碑
慕古の道碑は古道ファンにとって誠に有難い存在。
木ノ芽峠
この木ノ芽峠越えは平安初期に開削された古道である。
木ノ芽峠
険しい悪路だったが、山中峠越えより大幅に時間短縮できたので、こちらが中世の主道となる。
御膳水問屋跡
二ツ屋、御膳水問屋跡。
二ツ屋宿
制札場跡。
江戸時代には、この辺りに宿場があったようだ。今の集落は2km程先である。
二ツ屋一里塚跡碑
この二ツ屋宿は江戸時代には、大いに栄えたという。
右に一里塚跡碑が建つ。
鹿蒜山
この付近は鹿蒜[かへる]山と呼ばれ北陸道のまさに入口だった。
北陸道歩きのコース
コース | 見どころ、ハイライトなど | |
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北陸道 | ||
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4 | 新保~木ノ芽峠~二ツ屋 | 木ノ芽峠 |
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