仙台・松前道 九日目の街道歩き旅 [渋民、一戸~高山峠編]

渋民

渋民の地図
啄木記念館

啄木記念館

盛岡の北12kmにある旧宿場町渋民にやって来た。石川啄木(1885~1912)の故郷である。右の啄木記念館は生誕100年(1986)を祝し新築された。左は旧渋民小学校。

啄木記念館説明板

啄木記念館説明板

啄木記念館説明板。

旧渋民尋常高等小学校

旧渋民尋常高等小学校

この旧渋民尋常高等小学校は石川啄木の母校でもあり、ここで代用教員を務めた。

啄木歌碑

啄木歌碑

渋民公園の啄木歌碑。

「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」。ここから見る岩手山は実に美しい。

秋浜三郎の歌碑

秋浜三郎の歌碑

別の歌碑も建つ。

「さわやかな小春日和の姫神山 薄霞していともやさしく」。これは啄木の教え子(秋浜三郎)の歌碑。ちなみに姫神山は岩手山とは真逆の方向にある。

一戸~浪打峠

一戸~浪打峠の地図
一戸町

一戸町

二戸市に近い一戸町北端にやって来た。

いかにも古道らしい雰囲気が漂う。説明板と両側に碑が建つ。

浪打一里塚

浪打一里塚

逆から見ると「浪打一里塚」(写真左)とある。両側に塚が残る貴重な一里塚だ。標高302m。

明治天皇野立之碑

明治天皇野立之碑

明治天皇野立之碑(写真左)が建つ。ここは古くからの名所(歌枕「末の松山」)であったので茶会が催された(1876.7月)。

浪打峠

浪打峠

実は菅江真澄も、この浪打峠を南下している(1785.9月)。菅江は歌枕にも関心が深かったのである。

交叉層

交叉層

外観も美しく規模が大きいこの交叉層は、国の天然記念物に指定(1941)されている。

浪打峠

浪打峠

菅江の日記によれば、当時旅人は各種の貝を土産に拾い集めていたという。

浪打峠

浪打峠

一応、車は通れるが、めったに人は来ないだろう山道だ。やはり誰にも会わなかった

浪打峠~金田一温泉駅

浪打峠~金田一温泉駅の地図
山下清水

山下清水

前述の明治天皇の茶会に使用された山下清水。

右には関連する歌碑が建つ。

桜清水地蔵

桜清水地蔵

浪打峠と福岡宿の間にある桜清水地蔵。

当時の旅人がここでノドを潤したのであろう。

九戸城本丸跡

九戸城本丸跡

九戸城[くのへじょう]本丸跡。15c.末頃に九戸氏が築城した平山城。

馬淵川に挟まれた難攻不落の城といわれた。

九戸城本丸跡

九戸城本丸跡

しかし豊臣秀吉天下統一の最後の戦場となる。

謀略によって落城した悲劇の舞台でもあった。

三戸

三戸の地図
南部公霊屋

南部公霊屋

街道碑(写真中央)が建つ三戸の景観。ここは南部公霊屋[たまや]方面(写真右)に進む。

T字路

T字路

このT字路を右折する(写真右奥へ)。

三戸~高山峠

三戸~高山峠の地図
民家

民家

民家も、この辺りで途切れる。

街道表示板

街道表示板

左には、ささやかな街道表示板。高清水(6日目)とは大きなギャップを感じる。

碑

何か碑(写真右)が建つが、判然としない。

高山峠

高山峠

吉田松陰は、この歩き旅とは逆に青森方面から南下して一関経由で江戸にもどった。

高山峠

高山峠

林道として使われているようで、はっきりとした轍が続く。

高山一里塚

高山一里塚

高山一里塚(写真右)。

高山峠

高山峠

背に尾去沢(秋田県)の胴を乗せた牛も、この道を通ったことであろう。

十和田山碑

十和田山碑

街道沿いに建つ十和田山碑。十和田湖の東にそびえる十和田山(1,054m)への分岐点であろうか。

高山峠

高山峠

標高273mの高山峠には展望台があり、右には明治天皇の碑が建つ。

東北御巡幸記

東北御巡幸記

明治天皇の巡幸に随行した新聞記者が記した「東北御巡幸記」。