山陽道 十六日目の街道歩き旅 [徳山~防府編]

徳山~福川周辺

山陽道 徳山~福川周辺地図
川崎

川崎

川崎の町並み。この先の富田川を渡る。

富田

富田

富田[とんだ]の町並み。

白壁の土蔵が目を惹く。

福川~赤坂峠

山陽道 福川~赤坂峠地図
勘場蔵跡

勘場蔵跡

勘場蔵跡(徳地紙蔵・徳地御米蔵)の碑が建つ。

蔵の前は船着場になっていた。

福川宿

福川宿

JR福川駅の西600m、福川宿の町並み。左は男自慢酒造。厳島の戦いで毛利氏と戦った陶隆房(晴賢)の居城・若山城が福川と夜市の境にある。

福川宿本陣跡

福川宿本陣跡

新南陽市の西部、本陣町にある福川宿本陣(御茶屋)跡。

夜市川

夜市川

夜市[やじ]川(写真左)沿いに街道は北西へ進む。前方に山陽自動車道が見えてくる。

若山観音道標

若山観音道標

もともとは、夜市川沿いにあった若山観音道標。

現在はこの場所に移築(昭和61年)されている。

赤坂峠

赤坂峠

赤坂峠(赤迫越え)を越えて戸田[へた]へ向かう。

先日の大型台風(2004.9.7)の影響で木の葉や枝が散乱していた。

赤坂峠~椿峠

山陽道 赤坂峠~椿峠地図
宮島様

宮島様

鯛を抱えた恵比寿様が祀られている。由来は不明だが宮島様と呼ばれている。

辻地蔵

辻地蔵

身体から汗を出して、火災の難を知らせたといわれている。

椿茶屋

椿茶屋

街道は椿峠を目指す。

椿峠

椿峠

椿峠(写真中央奥)は目前である。この峠で一時R2号(写真左端→中央)と合流し防府[ほうふ]市に入る。

天野屋利兵衛ドライブイン

天野屋利兵衛ドライブイン

右に道標が建つ。郡境碑は西へ100m先だ。左は、天野屋利兵衛[あまのやりへえ]という名のドライブイン。天野屋利兵衛は、赤穂浪士の吉良邸討ち入りを支援したといわれている商人。

郡境碑

郡境碑

椿峠の高い所に郡境碑が見える。

従是 東都濃郡、西佐波郡残念ながら草が生い茂り文字が半分くらい隠れている。

椿峠~浮野峠

山陽道 椿峠~浮野峠地図
道中の風景

道中の風景

椿峠を下る途中、右に富海宿の町並みが見えてくる。

地蔵堂

地蔵堂

椿峠を下り、富海宿へと進む途中に地蔵堂が建つ。

円通寺

円通寺

円通寺は慶応2年(1886)に徳山藩の陣屋となった寺である。

橘坂

橘坂

浮野峠を目指し、橘坂を上って行く。

手懸岩と橘坂

手懸岩と橘坂

旅人は、この場所から瀬戸内海(写真看板奥)の絶景を見たそうだ。その時、手懸石に手を懸けて休んだという。

あら磯の 道よりもなお足曳きの 山たち花のさかぞくるしき (今川貞世)

橘坂

橘坂

JR富海[とのみ]駅の西から山道に入る。

橘坂[たちばなざか]から浮野峠[うけのとうげ]に至る山道は、古道のムードたっぷり。途中、左手に周防灘が見える。

「山陽の旅今昔」板

「山陽の旅今昔」板

この辺りは昔は峠道として、今は国道・バイパス・高速道路(山陽自動車道)・山陽本線(鉄道)が開通し、古来交通の要衝となっている感慨深い場所である。

街道碑

街道碑

この茶臼山には、大内輝弘の乱(1569)で自刃した、大内輝弘の墓がある。

石畳の道

石畳の道

浮野峠には、わずかに石畳(写真右)の道が残る。

少し進むと峠の改修碑が(明治4年)建っている。

改修碑説明板

改修碑説明板

浮野峠改修碑がある。

説明板によると、道が曲がり込んで行っていたのを直線で結んだようだ(明治4年)。

旧山陽道改修記念碑

旧山陽道改修記念碑

浮野峠改修碑の近くに建つ。

浮野峠~防府

山陽道 浮野峠~防府地図
周防国衙址

周防国衙址

周防国衙址[すおうこくがあと]。

1937年国の史跡指定を受け、史跡公園になっている。

毛利庭園

毛利庭園

毛利氏は、毛利輝元が関ヶ原の役で西軍総大将となった責任を問われ、長門・周防に減封された。

以降この毛利邸に住んだ。

周防国分寺

周防国分寺

周防国分寺は、741年聖武天皇勅願により国ごとに建立された官寺の一つ。

仁王門(写真中央)、街道面に面している。