東海道 七日目の街道歩き旅 [豊橋~新居~舞坂編]
吉田


吉田宿
江戸時代は宿場町、吉田藩の城下町として発達した。1869年(明治2)に豊橋と改称した。

異国風建築
これは豊橋市公会堂(1931年完成)。正面には5つのアーチが並び、両脇にあるイスラム風の2つのドームを結んでいる。設計者は中村与資平(1880~1963)。

豊橋ハリストス正教会
全国でも数ない木造のハリストス正教会(1913完成)。2008年重文に指定された。
二川


二川宿本陣
本陣資料館として公開されている。
本陣の遺構を公開しているのは、ここと草津のみ。

二川宿
二川宿には、古い家並みが残る。
境宿~潮見坂


間の宿・境宿
白須賀宿の西はずれにある境宿。愛知・静岡の県境に近い。

景勝地 潮見坂
西国や京から来た場合、初めて太平洋や富士山が見える場所。歴史的には人質として今川家へ行くはずの家康がここで拉致され織田家売られた。

潮見坂
急坂の潮見坂(写真右)をふり返る。
新居宿


阿仏尼歌碑(写真左)
「十六夜日記」の作者阿仏尼が京都から鎌倉に向かった(1227)時の歌「わがためや浪も高しの浜ならん袖の湊の浪はやすまで」。
右は夫、藤原為義の作。

紀伊国屋
新居宿の旅籠。紀州藩の御用宿であった。

新居関所
全国で唯一現存する関所建物。別名「海の関所」。湖の地形を利用した幕府にとって最重要の関所だった。東(写真手前)に渡船場があり対岸の舞坂宿とは会場6kmを行き来した。

面番所
関所の中心的な施設で、通行人の取り調べは厳重をきわめた。そのため、姫街道[参照]へ迂回する女性が多かったという。

浜名橋
歩道脇には歌川広重の浮世絵がずらりと並ぶ。

山頭火の句碑
JR新居の西には種田山頭火の句碑が立つ。「浜名街道、水のまんなかの道がまっすぐ」(1939年)
舞坂宿


舞坂の北雁木
雁木[がんげ]は階段状の船着場のこと。北、中、南の3つの雁木があったが、今は北雁木(大名用)のみ残る。

舞坂渡船場跡
海上は波静かな日が多かったようだ。

舞坂宿脇本陣
1997年に復元された。

秋葉山常夜灯(写真左)
中央奥には一里塚跡碑が建つ。

見付石垣
石垣の横に番人が立ち人馬の出入りを監視した。

浪小僧の像(写真右)
海が荒れたり風が強くなると海の底から太鼓を鳴らし知らせてくれるとの伝説がある。

松並木
700mにわたる見事な松並木は静岡県随一とのこと。

山頭火の句碑
「春の海のどこからともなく漕いでくる」(1936年)。左奥は弁天社の赤い大鳥居。

正岡子規の句碑(写真中央)
「天の川浜名の橋の十文字」(1895)
東海道歩きコース
コース | 見どころ、ハイライトなど | |
---|---|---|
1 | 京都(三条大橋)~大津~瀬田 | 逢坂峠、義仲寺 |
2 | 草津~手原~六地藏 | 草津の追分道標、旧和中散本舗 |
3 | 水口~土山~鈴鹿峠 | 土山宿、鈴鹿峠 |
4 | 関~亀山~日永 | 関宿、野村一里塚 |
5 | 富田~宮~有松 | 七里の渡し、宮の渡し、有松 |
6 | 知立~岡崎~御油 | 無量寿寺、八丁蔵通り、御油の松並木 |
7 | 豊橋~新居~舞坂 | 新居の関所、舞坂の松並木 |
8 | 見付~袋井~掛川 | 旧見付学校、掛川城 |
9 | 掛川大祭 | かんからまち、大獅子、奴道中 |
10 | 日坂~小夜の中山~金谷 | 小夜の中山、菊川坂、金谷坂 |
11 | 島田~藤枝~宇津ノ谷 | 日本坂、つたの細道 |
12 | 丸子~蒲原~沼津 | 清見寺、薩埵峠 |
13 | 三島~箱根西坂~箱根峠 | 三島大社、山中城址、小枯木坂 |
14 | 箱根峠~畑宿~小田原 | 甘酒茶屋、箱根関跡、石垣山 |
15 | 酒匂~藤沢~権太坂 | 化粧坂、権太坂 |
16 | 程ヶ谷~川崎~日本橋 | 横浜、泉岳寺、日本橋 |
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