姫街道/ひめかいどう

姫街道のルート

姫街道のルート

姫街道のルートは、東海道の御油宿から分かれて東海道の北側を通り、峠を越えて、見付宿で再び東海道に合流する。
<東海道>(御油[ごゆ])-(嵩山[すせ])-<本坂[ほんざか]峠>-(三ケ日)-<引佐[いなさ]峠>-(気賀)-(追分)-(市野)-(見付)<東海道>

姫街道の正式名称

東海道本坂越、本坂道、本坂通

姫街道の歴史

古代の姫街道

姫街道は大化の改新(645)以前、すでに東国へのルートとして開かれていたという。

西国へ向かう防人[さきもり]が通り、万葉の古歌にも詠われた古道である。

平安時代の姫街道

書の名人で三筆の一人、橘逸勢[たちばなのはやなり](?~842)もの姫街道を通った。承和の変(842)により、彼は伊豆に流罪となり、護送の途中、本坂で没した。

江戸時代の姫街道

姫街道は東海道の脇往還として道中奉行の管轄下に置かれた。

これは今切(浜名湖)の渡し場が大地震(1707)で破壊され、復旧までの一時期、東海道の旅人はすべて、こちらに迂回させられたからである。また信仰の道としても利用された。

西国から火防せの霊山・秋葉山、東国からは鳳来寺、商売繁盛の神・豊川稲荷への参詣道として人々がよく往来した。

姫街道の名称の由来

新居[あらい](今切)の関所は女改めの取締りが特に厳しく、更に「今切」の海路は遠州灘の荒波が危険な上、この呼称が縁切りを連想させるので、公家や大名、武家の奥方、貴婦人、更に女旅人は東海道を避け、この脇街道を通行したという。

しかし、姫街道という優美な呼称とは裏腹に山道と峠道がかなり続くので要注意。

姫街道歩き旅アドバイス

毎年4月第1土日に姫様道中が実施させるので、これに照準を合わせて歩くと豪華絢爛の行列、桜並木が見られ感動的だ。本坂のヤブ椿の落花を楽しんでから前述の祭りが見られたらベストである。

姫街道歩きコースプラン

姫街道歩きコース

  コース 姫街道のハイライト・見所
1 当古~三ケ日 本坂峠、椿の原生林
2 三ケ日~引佐峠
引佐峠(象泣き坂)~気賀
三ケ日、引佐峠、象泣き坂、尉ヶ峰
3 気賀~池田 姫様道中、三方原、熊野の長藤