東海道 二日目の街道歩き旅 [草津~手原~六地藏編]
草津
野路の玉川
古く「六玉川」に数えられた名水。今は小さい池と歌碑が残る。「あすもこむ野路の玉川秋こえて色なる浪に月やどりけり」(源俊頼)
上北池公園
野路一里塚石碑(写真中央)が建つ。
草津市矢倉の道標
矢橋[やばせ]道との分岐点に建つ道標。大津への短縮路として、よく利用された。
矢橋道
[参考写真]東海道の脇道で、瀬田の唐橋経由より2里ほど近道となる。大塚の正光寺付近の街道景観。
矢橋港跡
[参考写真]左に常夜灯が現存。乗客が多かったせいか、渡し賃は安かったらしい。船は前述の石場浜(大津市)に着く。
立木神社境内の道標
「みぎハ、たうかいとう(東海道)いセミち」「ひだりは、中せんたう(中山道)をた加(多賀)みち」。かつて追分に建っていたようだ(1680年建)。
草津宿街道交流館
草津宿の賑わいを実感できる歴史館。展示が豊富。
脇本陣
今は観光物産館として土産物などを販売する。
草津宿本陣
現存する本陣では日本最大級。宿帳には浅野内匠頭や吉良上野介、明治天皇、シーボルトなどの名もある。
草津宿場より
毎年4月末(昭和の日)に行われる宿場まつりは春の風物詩だ。
旧草津川堤防
旧草津川堤防から眺める東海道。中央奥が歩いてきた大津方面。
天井川
左上は前述の堤防。草津川は川床が周囲の地盤よりも高い天井川として知られた。
追分道標
「右、東海道いせみち」「左、中仙道(古い表記のまま)美のぢ(美濃路)」
大路井道標
大路井[おちのい]。
覚善寺(写真左)前には「右、東海道 左、中仙道」の道標が建つ。
堤防に建つ道標
「右、金勝[こんぜ]しがらき(信楽)路」「左、東海道いせ道」
目川立場
岡地区は目川立場と呼ばれ賑わった所。
岡村
間の宿、岡村には小嶋屋など3軒の田楽茶屋があった。
目川一里塚跡
「ひょうたんの里」とある。旅人の必需品(茶や酒を入れる)として、売られていた。
手原~六地蔵
鈎の陣
鈎[まがり]の陣。
将軍足利義尚(母は日野富子)が六角討伐のため近江に出陣(1487)し、陣をおいた所である。
手原稲荷神社
左に明治天皇小休所碑が建つ。
六地蔵一里塚
六地蔵は草津宿と石部宿のほぼ中間にある「間の宿」。
六地蔵の山の神祭
当屋[ヤド]に講の人々が集まりオン神さん、メン神さんなど祭礼に必要なものを作る。
荒武者
午前10時頃、小学生6年以下の7人の子供が集まりヤドの人に紅で顔にくまどりをされる。これは荒武者を表わしたものだという。少年たちは御幣を持っている。
山の神
最後に村から少し離れた山の神で注連縄[しめなわ]を新しく張り直し新しいオンタイ、メンタイを重ねる。1990年1月7日撮影。
旧和中散本舗
ここで作る胃腸薬は旅の必携薬として重宝された。書院は参勤交代の大名などの休憩所として利用された。
東海道歩きコース
コース | 見どころ、ハイライトなど | |
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1 | 京都(三条大橋)~大津~瀬田 | 逢坂峠、義仲寺 |
2 | 草津~手原~六地藏 | 草津の追分道標、旧和中散本舗 |
3 | 水口~土山~鈴鹿峠 | 土山宿、鈴鹿峠 |
4 | 関~亀山~日永 | 関宿、野村一里塚 |
5 | 富田~宮~有松 | 七里の渡し、宮の渡し、有松 |
6 | 知立~岡崎~御油 | 無量寿寺、八丁蔵通り、御油の松並木 |
7 | 豊橋~新居~舞坂 | 新居の関所、舞坂の松並木 |
8 | 見付~袋井~掛川 | 旧見付学校、掛川城 |
9 | 掛川大祭 | かんからまち、大獅子、奴道中 |
10 | 日坂~小夜の中山~金谷 | 小夜の中山、菊川坂、金谷坂 |
11 | 島田~藤枝~宇津ノ谷 | 日本坂、つたの細道 |
12 | 丸子~蒲原~沼津 | 清見寺、薩埵峠 |
13 | 三島~箱根西坂~箱根峠 | 三島大社、山中城址、小枯木坂 |
14 | 箱根峠~畑宿~小田原 | 甘酒茶屋、箱根関跡、石垣山 |
15 | 酒匂~藤沢~権太坂 | 化粧坂、権太坂 |
16 | 程ヶ谷~川崎~日本橋 | 横浜、泉岳寺、日本橋 |
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