東海道 十二日目の街道歩き旅 [丸子~蒲原~沼津編]
丸子宿
丸子橋付近
丸子宿にやって来た。左はとろろ料理の店一松園。
丸子宿
ここも名物とろろ汁で有名や丁字屋。近くに芭蕉句碑が建つ。
静岡
駿府公園
徳川家康が建てた駿府城跡を整備した公園。
清水
追分羊かん
大きな赤い暖簾[のれん]が印象的だ。店の角に道標が建つ。「是よりしみづ道」「南無妙法蓮華経」とある。左奥が清水港方面。
江尻宿の稚児橋
巴川に架かる稚児橋の親柱にはカッパの像が飾られている。
細井の松原
かつては徳川秀忠の頃に植えられた松並木があったという。左の碑は倒れた旅人を埋葬したことを物語る。
東海道屈指の名刹
この清見寺は蝦夷に備えて設けられた清見ヶ関鎮護の寺と伝わる。豊臣秀吉は小田原攻めの際、宿泊した。
清水寺
三門、仏殿、大方丈、鐘楼などの偉容が目に入る。
薩峠~由比
薩峠[さったとうげ]
興津宿と由比宿を結ぶ峠路で、ハイキングコースになっている。
古戦場
ここは京都と鎌倉を結ぶ戦略拠点で、たびたび古戦場になっている。観応の騒乱(1351)や武田信玄の駿河進攻(1566)などの例がある。
絶景の地
眼下に駿河湾、その向こうに富士山を望む東海道屈指の景勝地だ。
倉沢の町並み
由比の西はずれに位置する「間の宿」。江戸時代の面影が偲ばれる。
あかりの博物館
館内には行灯[あんどん]、提灯[ちょうちん]、ランプや当時そのままのなたね油、ローソク、石油などのあかりを点灯展示している。
由比本陣公園
江戸から16番目の宿場。東海道広重美術館を併設。月曜は休館。
蒲原
蒲原宿本陣跡
黒板塀に囲まれた本陣跡辺りは落着いた雰囲気だ。
「蒲原夜之雪」記念碑(写真左)
国際文通週間記念切手(1960年)となったことの記念碑であるが、雪はめったに降らないはず。
岩淵~富士
岩淵一里塚
左右とも残る。富士山が見えるスポット。
岩淵脇本陣(写真左)
岩淵は「間の宿」だった。
富士川
日本3大急流の一つ。富士川畔に建つ常夜灯(写真左)。富士山が美しい!
本市場・札の辻跡
吉原
平家越橋
平家越碑(写真右)
源平富士川の合戦(1180)の時、ここで白鳥の羽音を敵の襲来と誤認した平氏が逃走したという。
左富士の記念碑(写真左)
この歩き旅とは真逆であるが、江戸から来る旅人にとって、ここは珍しく富士が左手になる所。
左富士神社
原宿
原宿
沼津市西端の原にやってきた。JR東海道線沿いのほぼ一直線の道。
原の松蔭寺
一代の名僧白隠禅師は原に生まれ、ここ松蔭寺に墓がある。
藩領榜示杭
沼津藩の領域を示す杭だが下半分(「沼津領」)が失われている。
千本浜公園
若山牧水は千本松原の景観に魅せられ一家あげて転居した(1920)。近くに牧水記念館がある。
若山牧水歌碑
「幾山河こえさりゆかば寂しさの、はてなむ国ぞけふも旅ゆく」(1907詠む)
井上靖文学碑
「千個の海のかけらが千本の松の間に挟まっていた。少年の私は毎日それを1つずつ食べて育った」
沼津宿
沼津のさんさん通り
何かの記念であろうか。ユニークなトーテムポールのようなのが目についた。歩いていると思いがけないものに遭遇する。
三枚橋城石垣(復元)
沼津城本丸址
廃城となった三枚橋城の跡に築城されたが、1872年静岡県によって城は解体された。
川廓通り
沼津宿の面影を残すため昭和30年(1955)代まで、あったとされる石畳をイメージして整備された。
東海道歩きコース
コース | 見どころ、ハイライトなど | |
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1 | 京都(三条大橋)~大津~瀬田 | 逢坂峠、義仲寺 |
2 | 草津~手原~六地藏 | 草津の追分道標、旧和中散本舗 |
3 | 水口~土山~鈴鹿峠 | 土山宿、鈴鹿峠 |
4 | 関~亀山~日永 | 関宿、野村一里塚 |
5 | 富田~宮~有松 | 七里の渡し、宮の渡し、有松 |
6 | 知立~岡崎~御油 | 無量寿寺、八丁蔵通り、御油の松並木 |
7 | 豊橋~新居~舞坂 | 新居の関所、舞坂の松並木 |
8 | 見付~袋井~掛川 | 旧見付学校、掛川城 |
9 | 掛川大祭 | かんからまち、大獅子、奴道中 |
10 | 日坂~小夜の中山~金谷 | 小夜の中山、菊川坂、金谷坂 |
11 | 島田~藤枝~宇津ノ谷 | 日本坂、つたの細道 |
12 | 丸子~蒲原~沼津 | 清見寺、薩埵峠 |
13 | 三島~箱根西坂~箱根峠 | 三島大社、山中城址、小枯木坂 |
14 | 箱根峠~畑宿~小田原 | 甘酒茶屋、箱根関跡、石垣山 |
15 | 酒匂~藤沢~権太坂 | 化粧坂、権太坂 |
16 | 程ヶ谷~川崎~日本橋 | 横浜、泉岳寺、日本橋 |
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