東海道 三日目の街道歩き旅 [水口~土山~鈴鹿峠編]
水口
水口城
徳川家光が築かせた宿館で今は資料館となっている。湧水を利用した堀に水をたたえていたので別名「碧水城」と呼ぶ。
水口~土山
垂水斎王頓宮碑
天皇即位の度に選ばれて伊勢神宮に奉仕した斎王(未婚の皇女など)が宿泊した仮宮跡である。
土山宿
平成万人灯
甲賀市土山支所の前に建つ。交通安全のシンボル。
土山宿問屋場跡
右に大黒屋本陣。左に高札場跡碑も建つ。
歌碑と金色の表示板
ユニークな「歴史の道」表示板が建つ。そっぽ向く旅人、男は京を向き女は江戸を目指すのか。中央に高桑闌更の句碑「土山や唄にもうたふ初しぐれ」
詩碑
儒学者の林羅山が江戸から故郷の京都へ向かう途中(1616)ここ土山で読んだ漢詩。
土山宿
土山宿本陣跡。左に明治天皇碑が建つ。
土山宿本陣跡
3代将軍徳川家光の上洛(1634)の際に設けられた本陣。
本陣前の通り
土山宿伝馬館
文豪森鴎外来訪の地碑(写真中央)も建つ。
来見橋
土山宿の風景画が描かれている。
歌川広重の風景版画
土山「春の雨」。大雨の中を進む大名行列を描く。
田村神社の参道
鈴鹿の鬼神を退治した坂上田村麻呂を祀る。
蟹ヶ坂
昔、カニの怪物が旅人を見かけると泡を噴きつけ動けなくして食べた。恵心僧都が法力で退治したという。
鈴鹿峠
鈴鹿馬子唄の碑
「坂は照る照る鈴鹿はくもる、あいの土山雨が降る」と歌われた。
山中城址
ここにも(写真中央奥)鈴鹿馬子唄の碑が建つ。
鈴鹿峠へ
ここにも例の「歴史の道」表示板が建つ。東海自然歩道のルートでもある。
鈴鹿トンネル
国道1号が鈴鹿峠下をトンネルでぬける。中央に小さく常夜灯が見える。
万人講常夜灯
四国の金毘羅宮参りの常夜灯として建立(1822年)。高さ約10mは日本随一の大きさを誇る。
鈴鹿峠
茶畑が広がる峠の一角。標高は357m。この峠が官道となったのは平安時代以後である。それ迄は柘植から加太[かぶと]越えで伊勢へ抜けたのである。
鈴鹿峠を府瞰する
登り、下りの車線は分離され、かなりのヘアピンカーブ状態だ。
鈴鹿峠の鏡岩
表面が鏡のように輝く岩を利用して山賊たちが往来する旅人をおどし危害を加えたという。しかし実際には伝説のように輝いてはいない。
芭蕉句碑
「ほっしんの初にこゆる鈴鹿山」松尾芭蕉は奈良、京をまわり、この鈴鹿峠を越えて(1685)に江戸に向かう。
花笠太鼓踊り
旧土山町黒川の祭。本来は雨乞いまたはその返礼に踊られた。氏神に華麗な踊りを奉納する。
山女原の祭
山女原[あけびはら]。
前述の黒川の東隣の村で距離的には約3km離れている。
花笠太鼓踊り
上林神社への渡御の場面。
鬼2匹
黒川の踊りとよく似ているが、こちらは山女原の鬼は小学生だった。以上4枚とも1988年4月15撮影。
東海道歩きコース
コース | 見どころ、ハイライトなど | |
---|---|---|
1 | 京都(三条大橋)~大津~瀬田 | 逢坂峠、義仲寺 |
2 | 草津~手原~六地藏 | 草津の追分道標、旧和中散本舗 |
3 | 水口~土山~鈴鹿峠 | 土山宿、鈴鹿峠 |
4 | 関~亀山~日永 | 関宿、野村一里塚 |
5 | 富田~宮~有松 | 七里の渡し、宮の渡し、有松 |
6 | 知立~岡崎~御油 | 無量寿寺、八丁蔵通り、御油の松並木 |
7 | 豊橋~新居~舞坂 | 新居の関所、舞坂の松並木 |
8 | 見付~袋井~掛川 | 旧見付学校、掛川城 |
9 | 掛川大祭 | かんからまち、大獅子、奴道中 |
10 | 日坂~小夜の中山~金谷 | 小夜の中山、菊川坂、金谷坂 |
11 | 島田~藤枝~宇津ノ谷 | 日本坂、つたの細道 |
12 | 丸子~蒲原~沼津 | 清見寺、薩埵峠 |
13 | 三島~箱根西坂~箱根峠 | 三島大社、山中城址、小枯木坂 |
14 | 箱根峠~畑宿~小田原 | 甘酒茶屋、箱根関跡、石垣山 |
15 | 酒匂~藤沢~権太坂 | 化粧坂、権太坂 |
16 | 程ヶ谷~川崎~日本橋 | 横浜、泉岳寺、日本橋 |
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