美濃路ウォーキング
8日目の街道歩き旅
[大垣の散策 編]
大垣の散策
奥の細道
大垣といえば俳聖芭蕉の「奥の細道」紀行(約2,400㎞)のむすびの地である。
愛宕神社(左)
愛宕神社の前に高さ3m余の常夜灯・道標(右)が建つ
道標(1822年建)
「右、きそじ(中山道のこと) 左、京みち 北、たにくみ(谷汲)道」
「右、起 左、笠松墨俣」
水門川
かつては大垣城の外堀であった。
今は2.2㎞の川沿いに「奥の細道」の旅で芭蕉が詠んだ句碑が並ぶ。
大垣城東総門跡
名古屋口門跡
平泉で詠んだ句(奥の細道紀行)
「夏艸や兵共が夢の跡」
立石寺で詠んだ句
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
出羽三山で詠んだ句
「有難や雪をかほらす南谷」
藩校敬教堂跡
左の祖師像は韓国から移設されたもので、藩校当時からここにあったという。
大垣の湧水
八幡神社境内にある自噴水。名水である。
水上お花見
たらい舟の川下り(水門川)
たらい舟
1日数回運行される。有料。
清水口門跡
大垣城七口の一つで城の西側にある。
那谷寺で詠んだ句
「石山の石より白し秋の風」
敦賀で詠んだ句
「名月や北国日和定なき」
虹の橋
橋の中ほどにハーピアンという楽器が設置されている(左)。
鍵盤をたたくと音が出る。
船町道標(左)
「右、京みち 左、江戸道」とある。高さ約2m。右の橋は京橋。
京橋の欄干
趣のある鏝絵が飾られている。
大垣が川湊であったことが伺える。
奥の細道むすびの地
芭蕉(中央の像)は、約5か月の「奥の細道」の旅をここ大垣で終えた(1689年)。
谷木因(右の像)とは京都の北村季吟同門の仲で、芭蕉は4回も大垣を訪れている。
句碑並び建つ
右から「南いせ、くわな(桑名)へ十里 ざいごうみち」(谷木因)
「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」(芭蕉)
「惜いひげ剃りたり窓に夏木立}(これも木因)
船町港の跡地
水門川には当時の舟も浮かび、往時を偲ばせる。
住吉灯台(右)
大垣の河港に出入りする船舶の安全を願った灯台だった。高さ約8m。
大垣城
築城は1535年。江戸時代は戸田藩十万石の居城。
現在の天守閣は1959年に再建されたもの。
大垣城西門(1985年復興)
関ヶ原の戦いの折には、西軍の石田三成、島津義弘らが大垣城に入城し、決戦前夜まで本拠とした。
郷土館
大垣藩主 戸田公入城350年の記念事業として建設された(1985年開館)
枝垂桜
郷土館の日本庭園の枝垂桜。
大垣宿問屋場跡
人馬の継立を行った所。
大垣宿本陣跡
明治天皇の宿泊所にも利用された(1878)。今は竹島会館。
全昌寺
大垣藩主の正室・大誓院が創建した寺(以後、大垣藩の菩提寺)。
朝鮮通信使が宿泊した。
美濃路街道歩きコース
美濃路歩きのルート | 見どころ、ハイライトなど | |
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美濃路 | ||
1 | 宮(熱田)~大須 | 熱田神宮、大須観音、大道町人祭 |
2 | 名古屋城周辺 | 名古屋城、白壁町、四間道 |
3 | 枇杷島~清洲 | 西枇杷島まつり、清洲城、清洲宿本陣 |
4 | 北市場~高木 | 稲葉宿町並み |
5 | 国府宮の裸祭 | 大鏡餅奉納、儺追(なおい)神事 |
6 | 萩原宿~起宿 | チンドン祭、冨田一里塚、起宿脇本陣跡(資料館) |
7 | 羽島~墨俣~大垣 | 竹鼻の祭、一夜城跡、結神社 |
8 | 大垣の散策 | 四季の道(水門川遊歩道)、奥の細道結びの地、大垣城 |
9 | 大垣祭り | 11輌の山車巡行 |
10 | 大垣~垂井宿 | 久徳の一里塚、松並木、垂井の泉 |
11 | 垂井曳軕祭りと子供歌舞伎 | 垂井子供歌舞伎 |
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