美濃路ウォーキング
2日目の街道歩き旅 
[名古屋城周辺 編]

名古屋城~四間道

地図

名古屋城の再建

現在の名古屋城は、第2次世界大戦で焼失した後、1959年に再建されたもの。

名古屋城の再建

名古屋城

家康が西国の外様大名20家に築城工事を割り振って築いた。尾張徳川家の居城。

名古屋城

加藤清正

清正は最も重要な天守の石垣づくりを担当。烏帽子型の兜をかぶった清正は、祭のように景気よく、にぎやかに石引をやってのけた。

加藤清正

「参考写真」熊本城前の清正像

熊本城前の清正像。そっくりさん。

熊本城前の清正像

新しい道標

丸の内3丁目で見かけた道標。「北、おしろ(名古屋城)、西、みのじ」

新しい道標

川上貞奴邸

川上貞奴(1871~1946)は、日本で最初の女優。16歳で芸者となり、お座敷に出る。壮士芝居の川上音二郎と結婚。渡欧巡業では一座の花形女優になる。波乱万丈の生涯を送った

川上貞奴邸

白壁町

江戸時代からの尾張藩の武家屋敷が立ち並ぶエリアである。

白壁町

旧春田鉄次郎邸

陶磁器貿易商として成功した春田鉄次郎の住宅。現在はレストラン「デュボネ」となっている。

旧春田鉄次郎邸

旧豊田佐助邸

豊田佐助は、発明王の豊田佐吉の実弟で、豊田紡織の社長を務めた。1923年建。

旧豊田佐助邸

料亭か茂免(かもめ)

洋紙商、中井家の旧邸。戦前戦中は皇族の居所として利用された。

料亭か茂免(かもめ)

豊田利三郎の旧邸跡

豊田佐吉の娘婿、豊田利三郎邸跡(1918年建)

豊田利三郎の旧邸跡

旧豊田利三郎邸の塀

現在は、塀のみで、敷地には高層マンションが建つ。

旧豊田利三郎邸の塀

旧料亭・樟(くすのき)

大正初期の建物。都市景観重要建築物に指定。

旧料亭・樟(くすのき)

名古屋市政資料館

レンガの赤、花崗岩の白が目をひく荘重なネオ・バロック様式の建物。今は市の公文書館や貸室として使われている。

名古屋市政資料館

五条橋

堀川に架かる五条橋。もとは清洲の五条川にあった木造の橋をここに移築した。【清洲越し(1612頃~1616年)】。1938年に木造の橋に似せて架け替えられた。御影石の親柱。擬宝珠(ぎぼし)、石張舗装などが目をひく。左端に屋根神様が祀られている。堀川は伊勢湾から名古屋城までの運河に利用されていた。

五条橋

四間道(しけみち)

この道は美濃路ではないが、(一本西側の道)、町並み保存地区に指定されているので散策してみよう。

四間道(しけみち)

名前の由来

元禄時代の大火(1700年)の後、尾張藩の命で道幅を四間(約7m)に拡げ、防火線にしたことに由来。

名前の由来

伊藤家(右)

松坂屋の伊藤家と区別するための「川伊藤家」と呼ばれた豪商だった。

伊藤家(右)

那古野1丁目付近

石垣の上に重厚な黒い土蔵が並ぶ(那古野1丁目付近)。

那古野1丁目付近

街道沿いの延命地蔵

幅下小学校の北100mに立つ。

街道沿いの延命地蔵

西区城西2丁目を西進(中央奥へ)

右の説明板に注目!まるで擬態のように目立たない。

中村遊郭跡

江川一里塚跡

今は何も残っていない。

江川一里塚跡

押切北交差点

中央奥へと街道は続く。

押切北交差点

白山神社

街道沿いの神社、ここは旅人が休憩する立場だった。

白山神社

美濃路街道歩きコース

  美濃路歩きのルート 見どころ、ハイライトなど
美濃路
1 宮(熱田)~大須 熱田神宮、大須観音、大道町人祭
2 名古屋城周辺 名古屋城、白壁町、四間道
3 枇杷島~清洲 西枇杷島まつり、清洲城、清洲宿本陣
4 北市場~高木 稲葉宿町並み
5 国府宮の裸祭 大鏡餅奉納、儺追(なおい)神事
6 萩原宿~起宿 チンドン祭、冨田一里塚、起宿脇本陣跡(資料館)
7 羽島~墨俣~大垣 竹鼻の祭、一夜城跡、結神社
8 大垣の散策 四季の道(水門川遊歩道)、奥の細道結びの地、大垣城
9 大垣祭り 11輌の山車巡行
10 大垣~垂井宿 久徳の一里塚、松並木、垂井の泉
11 垂井曳軕祭りと子供歌舞伎 垂井子供歌舞伎