琉球・歴史の道 一日目の街道歩き旅 [宜野湾市野嵩~中城村編]
宜野湾市野嵩~中城村
中城の旅行記はこちらにもあります。
宜野湾市野嵩
宜野湾市野嵩[ぎのわんしのだけ]。 那覇空港から、野嵩までバスでやって来た。所要時間は約70分。
野嵩の住宅街
通称ナカミチと呼ばれる道。実は宿道[しゅくみち]という古道のルートにあたる。
野嵩の生活道路
近くにある普天間の米軍施設のほうから続いている。
野嵩クシヌカー
共同生活用水に利用された所だ。
花のある風景
鮮やかなブーゲンビリアの花が旅人の目を楽しませる。
野嵩の町並み
野嵩の町中に古道の面影はない。
野嵩の公園
近くの、のだけ公園。
野嵩のの古道入口?
県道で分断されて宿道のルートが不明確。ここは雑草に覆われているので敬遠。
「野嵩の石畳道」標示板
ようやくお目当ての「野嵩の石畳道」の標示板を見つけた。
雑草の道
雑草が茂るが、明らかに石畳が見える!
野嵩の石畳道
嬉しいことに、野嵩の石畳道はきちんと修復保存されている。
野嵩の石畳道をふり返る
野嵩の石畳道はわずか60m程だが美しい姿が残る。これから目指す中城城から護佐丸の妻子が逃げた道とも伝わる。
中城城入口
野嵩から古道を東進すれば中城城[なかグスクじょう]に通じるはずだが、そのルートは複雑。結局、断念して迂回した。「急がば回れ」ということか。
世界遺産碑
左は三の郭の城壁。相方積みという石積み。
裏門
ペリーも驚嘆したという美しいアーチ門である。
石畳の道
この城は武将であり名築城家の護佐丸が築いた。
外周路
中央奥はグスク(城館)ではなく、廃墟となったホテル。
中城湾
石油貯蔵タンクが見える。埋め立て工事らしい。
正門手前
右に「中城城跡」碑が建つ。
正門
楼門であったと考えられている。
正門(西向き)
西方の普天間、野嵩方面からの宿道は、この正門へ通じていたのであろう。
南の郭[くるわ]
聖地久高島への遥拝所。郭は曲輪とも書き、城の一区域。
拝所
雨乞いの御嶽(ウタキ。拝所とか聖所のこと)
石材
拱門(アーチ門)天井部の石材は石灰岩。
一の郭
絶景の地に築城している。
一の郭
一の郭の南側には観月台が設けてある。
一の郭
右が正殿跡。
拝所
中森ノ御イベ(通称、着替御嶽)。
二の郭
右奥の碑は忠魂碑。日露戦争(1904~05)の戦没者を祀る。
石垣
チャームポイントは見事な曲線美。
石垣
フランスやメソポタミアなど外国の築城法も採用したといわれる。
二の郭
ライバル阿麻和利の陰謀で護佐丸は滅び、この中城城を明渡すが、因果は巡り阿麻和利も滅亡する。 1458年の史実である。
コース
コース | ハイライト・見所 | |
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琉球・歴史の道 | ||
1 | 宜野湾市野嵩~中城村 | 野嵩石畳道、中城城跡 |
2 | うるま市勝連、読谷村座喜味 | 勝連城跡、座喜味城跡 |
3 | うるま市石川~仲泊 | 歴史の道(国頭方西海道) |
4 | 恩納村山田~喜名 | 歴史の道(国頭方西海道) |
5 | 浦添市当山~仲間 | 当山の石畳道、当山橋、浦添ようどれ |
6 | 浦添市仲間~那覇市末吉宮 | 安波茶橋、末吉宮参道 |
7 | 首里城公園の散策 | 園比屋御嶽石門、首里城正殿、正殿二階 |
8 | 首里金城町~識名園 | 玉陵、金城の石畳道、識名園 |
9 | 南城市海野~知念 | 斎場御嶽、知念城跡 |
10 | 南城市知念~玉城 | 仲村渠樋川、垣花樋川 |
11 | 南城市玉城地区の散策 | 玉城城跡、糸数城跡、富里の石畳道 |
12 | 那覇市西部の散策 | 福州園、、外人墓地、波之上宮 |
13 | 琉球村の散策 | 道ジュネー、琉球古民家 |
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