唐津街道 四日目の街道歩き旅
[香椎~箱崎~福岡 編]
香椎~箱崎~福岡(福岡県)の位置
香椎駅
福岡市香椎にやって来た。街道は西鉄とJRの中間を通る。
香椎と言えば、松本清張の小説「点と線」(1958年)の舞台になったところだ
道標
街道筋ではないが、香椎宮に寄り道をする。
参道入り口に「大社香椎宮近道」の道標が建つ
川沿いの道
香椎川沿いに進む
並木道
左に香椎宮が見えてきた
香椎宮
香椎宮の鳥居
境内
神功皇后と仲哀天皇を祭神とする
中門
左右に回廊が接続する
御神木 綾杉
「秋立つや 千草ぶる世の 杉ありて」漱石
古宮址
仲哀天皇は、この地で崩御と伝わる
仲哀天皇
「仲哀天皇大本営御旧蹟」碑
筥崎宮付近
九州を平定した秀吉は、この筥崎に本陣を置いて、約1ヵ月滞在した
筥崎宮楼門
正面には元寇(1281年)の襲来に対して国家安泰を念じた「敵国降伏」の扁額が掲げられる。宇佐、石清水とともに、三大八幡と言われる
蒙古軍船の碇石と元寇防塁
日本側は、博多湾岸に防塁を築いて迎え撃った。元軍(14万人)は、結局、九州本土に上陸できず、1281年8月末の大きな台風で壊滅的な打撃を受け、元寇は失敗した
郡境石
「従是東 表粕屋郡」の碑が街道沿いに建つ。
表粕屋は、明治中期以降、粕屋炭田としても急激に発展した所
濡衣塚
継母に無実の罪を着せられて死んだ娘を供養する。
中央の碑は梵字板碑(14世紀の碑)
博多座
福岡の演劇文化を担う演劇専用大劇場
「博多町家」ふるさと館
明治から大正期の町家や町並みなどを復元し、再現した展示館
櫛田神社
八世紀の創建と伝わる古社。博多祇園山笠(7月)で有名な博多の総鎮守
【参考写真】観光たばこ(1973年)
博多祇園山笠のイメージ
楽水園
落ち着いた佇まいの日本庭園。左の博多塀は、
博多商人がガレキを利用して塀を急造した
赤レンガ文化館(国重文)
1909年建の英国スタイルのおしゃれな建物。
旧日本生命保険会社九州支店。設計者は辰野金吾
「五足の靴」文学碑
「五足の靴」は、与謝野鉄幹ら「明星」グループ5人の紀行文。1907年、東京の新聞に連載された。5人は東京から夜行列車で出発し、下関のあと、この福岡(中州)に、宿泊した。碑は博多橋の西に建つ
【参考写真】天草の大江天主堂
「五足の靴」の5人は、その後、グループの一人北原白秋の実家(柳川)で連泊のあと、唐津、平戸、長崎などまわり、この天草にやって来た。キリシタン史跡の多い所だ
【参考写真】「五足の靴」説明板
若い5人は、約32kmを歩いて大江までやってきた。そして、村人から慈父のように慕われるガルニエ神父との対面を果たした(1907年8月10日)
福岡城の堀
福岡城は7年がかりで造られた(1601~07年)
城門
五十二万石の大藩にふさわしい壮大な城だった
長屋門
黒田藩の豪傑、母里太兵衛邸の長屋門
石垣
黒田官兵衛・長政親子が築いた福岡城
福岡を創った男
軍師黒田官兵衛は、秀吉の天下取りの推進者だった
祈念櫓
鬼門(本丸の東北隅)封じを祈念するために建立された
天守台へ
天守台が残っている。果たして天守閣は存在したのか興味深い
復元CG
仮に天守閣が存在したとすれば、かくのごとく
桜満開
桜の名所なり(福岡城さくらまつり)
眺望
ビルが林立し、昔のように博多湾を見渡すことはできない
城跡碑
城の優美な姿から、舞鶴城の別名がある
唐津街道歩きコース
コース | 見どころ、ハイライトなど | |
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唐津街道 | ||
1 | 戸畑~若松 | 若戸大橋、旧古河鉱業若松ビル |
2 | 赤間宿~原町 | 赤間の町並み、中村研一・琢二生家美術館 |
3 | 畦町宿~青柳宿 | 太閤水、玄望峠、唐津街道道標 |
4 | 香椎~箱崎~福岡 | 筥崎宮、福岡城 |
5 | 大宰府 | 天満宮、都府楼跡 |
6 | 筑前前原 | 古材の森、辰美商店 |
7 | 虹の松原~唐津 | 虹の松原、唐津城、旧唐津銀行 |
8 | 「唐津くんち」、伊万里、平戸 | 曳山の巡行、ザビエル教会(平戸) |
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