和歌山街道 七日目の街道歩き旅 [相可~田丸~小俣編]

相可

和歌山街道 相可の地図 相可高校

相可高校(中央奥)

高校の近くには歌碑(写真中央)が建つ。

西行歌碑

西行歌碑(左)

西行が伊勢参宮した時の歌「疲れぬる我を友呼ぶ、千鳥ヶ瀬、越えて相可に旅寝こそすれ」

相可の町並み

相可の町並み

前述の歌碑から約600m東進した地点。右に2基の道標。

並ぶ道標

並ぶ道標

右には「左くまのみち 右まつさかみち」 左側は「伊勢本街道 右くまのみち」とある。井戸があり旅人が、ここでノドを潤したことであろう。

道標付近の町並み

道標付近の町並み

道標の南側を眺めると黒板張り民家が建つ。

金粒丸

金粒丸

西池上の集落に入ると金粒丸の縦看板(写真左)が目をひく、かつての薬屋だ。

常夜灯

常夜灯

これは西池上の常夜灯(1844建)。高さ2.8m。

分岐点

分岐点

やがて道は分かれるが、指示通り左の道を進む。すぐにJR参宮線の踏切が見えてくる。

田丸

和歌山街道 田丸の地図街道表示板

街道表示板

道中のポイントには表示板が設置されているので安心だ。

林間入口

林間入口

表示板の「伊勢」はいいとして「大阪」は違和感あるなぁ。

伏拝坂

伏拝坂

ここでギブアップした旅人が東(伊勢神宮)の空を伏し拝み残念そうに帰ったという伝説が残る。

林間の道

林間の道

林の中を進む。

林間の道をふり返る

林間の道をふり返る

ようやく展望の開けた所に出た。上田辺付近の街道筋。

人柱供養碑塚

人柱供養碑塚

正念という老僧がここで重病となり死を悟る。それで往来する旅人の安全を祈り人柱に立ったという。

松坂道との分岐道標

松坂道との分岐道標(中央)

「右松坂道、左はせ道」。この道標はレプリカ(実物は盗難にあった)。

田丸城跡

田丸城跡

旧城下町の田丸にやって来た。北畠親房の築城(1336)が最初である。

田丸城跡

平山城

今も名残をとどめる城郭は織田信雄が築いた平山城で立派な城だったが、焼失・崩壊した。最近(2011~)天守閣が冬のみイルミネーションで復元したのは朗報だ。

村上龍平記念館

村上龍平記念館

田丸出身の村上龍平(1850~1933)は日本のジャーナリズムの先駆者のひとりで朝日新聞の創業者。

田丸の町並み

田丸の町並み

古の面影が残る町並み。

田丸の道標

田丸の道標

ここ田丸は初瀬[はせ]街道と熊野街道の合流点で、ここから伊勢本街道として伊勢神宮へと続く。左に道標が建つ。

玉城中学校庭

玉城中学校庭

前述の道標はレプリカ。実物の道標は玉城中学校に保管されている。「紀州街道」。やはり風格がある。

田丸駅前

田丸駅前

田丸は「熊野街道出立の町」として駅前には旅人のモニュメントが建つ。

小俣宿

和歌山街道 小俣宿の地図小俣宿

小俣宿

ここで参宮街道の小俣[おばた]宿へ寄り道をする。田丸から4~5km。

へんば餅

へんば餅

小俣宿の名物はへんば餅(中央に看板)。宮川の渡しの前で参宮客が馬を返した(返馬)ので、この名がある。

鳥羽藩高札場跡

鳥羽藩高札場跡(左)

JR参宮線宮川駅の北東の街道筋。右には「坂田の橋跡」

汁谷川にかかる宮古橋

汁谷川にかかる宮古橋

傍には「参宮人目付」碑が建つ。ここは参宮する人の検問所だった。

和歌山街道歩きコースプラン

和歌山街道のコース

  和歌山街道歩きコース ハイライト・見所
1 和歌山~岩出 和歌山城、四箇郷一里塚
2 岩出~橋本 名手宿、東家の町並み
3 橋本~五篠 万葉の道、五篠の町並み
4 六田~鷲家 大和上市の町並み、鷲家の本陣跡
5 杉谷~高見峠~七日市 高見峠、大定峠
6 赤桶~粥見~丹生 珍布[めずらし]峠、丹生大師
7 相可~田丸~小俣 相可の町並み、田丸城跡
8 河崎~伊勢神宮~二見浦 河崎の町並み、おかげ横丁
9 松阪の散策 鈴屋、御城番通り
10 [伊勢本街道ハイライト編]
榛原~多気~津留
石割峠、鞍取峠、飼坂峠