東海道 十一日目の街道歩き旅 [島田~藤枝~宇津ノ谷編]

島田

東海道 島田地図
芭蕉句碑

芭蕉句碑

島田信用金庫前に建つ松尾芭蕉句碑「駿河路や花橘も茶の匂い」

本陣跡

本陣跡

この記念碑は、からくり時計。

刀匠碑

刀匠碑(写真左)

室町時代から江戸期にかけ、この島田には多くの刀工(刀鍛冶)が軒を連ねたという。

島田宿一里塚跡

島田宿一里塚跡

江戸から50番目の一里塚だった。

蓬莱橋

日本最長の木造遊歩道橋

この蓬莱[ほういらい]橋は、江戸期の橋ではない(1878誕生)。島田と開拓地を結ぶ橋で歩行者と農耕車オンリー(有料)。

大井川

大井川

バックの川が荒れ川で有名な大井川。川越遺跡は2kmほど西(写真左)にある。

島田の奇祭・帯祭

島田の奇祭・帯祭

3年に1度(10月中旬)の豪華な元禄絵巻。300年以上の伝統ある祭だ。

大奴の行進

大奴の行進

黒の木綿の袢天を着て、大小2本の木刀を差した大奴が豪華な帯をその木刀につるして街をねり歩く。

安産祈願

安産祈願

木刀に帯をつるすのは、婦人の安産祈願に由来する。

大名行列

大名行列

大名行列は江戸時代の参勤交代の様子を模したもの。帯行列はこの大名行列の一部分に当たる。 

島田髷まつり

島田髷まつり

島田髷[まげ]を考案したと伝えられる虎御前(遊女で曽我十郎の愛人)の塚のある鵜田寺で供養する。元禄頃には主に未婚女性の髪型として広まった。

藤枝

東海道 藤枝の地図
染飯茶屋跡

染飯茶屋跡

島田から藤枝の途中、瀬戸に名物「染飯[そめいい]」があった。強飯を「くちなし」の実(黄赤色)で染めて摺りつぶす。疲労回復に効くようだ。

藤枝宿

藤枝宿

蓮正寺近くには秋葉山常夜灯が建つ。

東海道追分

東海道追分

瀬戸山を越える中世の古東海道(写真左端)と旧東海道(写真右奥へ)の分岐点。

日本坂

東海道 日本坂の地図
日本武尊伝承の地

日本武尊伝承の地

史跡「御所の前」。日本武尊が滞在した地と伝わる。大化の改新の翌年に、正式に官道として「ひむがしの海のみち」東海道が制定されたという。石碑の側面には大化の改新(645)、1350年記念とある。

古道

古道

「やきつべの道」

小坂追分

小坂追分

日本坂へは左の道を進む。

万葉の道

最古の東海道(万葉の道)

奈良時代の官道である。

日本坂峠

日本坂峠

日本武尊が東征の折、通った道と伝わる。標高302m。

満観峰

満観峰

標高470mの山頂からの眺望は見事だ。正面には、うっすら富士山が見える。

万葉歌碑

焼津市花沢の万葉歌碑

「焼津辺に、わが行きしかば駿府なる阿部の市道に逢いし児らはも」常陸国司の人の歌(701年)。

法華寺

法華寺(写真右奥)

日本坂峠から約20分下ってきた所。

焼津市花沢

焼津市花沢

三方を山に囲まれる閑静な山村。隠れ里のようなスポットだ。

花沢の里

花沢の里

長屋門造りの屋敷が軒を連ねる。この花沢は2014年9月重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定された。

焼津の荒祭

焼津の荒祭

御輿渡御は総勢300人を越える神役の行列に加えて白装束の若者の大集団が「アンエットン」の掛声も勇ましく御輿を繰り出す。

神子

神子

pm5:00頃に「神子」が北お旅所に到着。

荒祭

荒祭

祭の最後のハイライト「流鏑馬[やぶさめ]」。夜11時を過ぎても焼津市民は、熱心に見守っている。

藤守の田遊び

藤守の田遊び

大井川流域に数ヶ所ある田遊びのうち、代表的なもので、国の重要文化財。1年間の農作業の所作を模擬的に演じてその年の豊作を祈願する。奉納するのは氏子中の未婚の青年たち。

棒

長さ6尺の棒を持って活発に舞う。「棒の手」と呼ばれる呪術芸の一つ。

華麗な飾り付け

華麗な飾り付け

頭上には美しい造花をつけ前頭部に面をつけている。

御獅子

御獅子

青年5人が木彫りの獅子頭に麻布をつけた幕に入り振取(写真右、ふっとり)の慰める所作を受ける。

猿田楽

猿田楽

造花ショッコ(ワラで作った尖り帽子)を付けた8人の青年が絢爛に舞う。この祭は午後6~11時頃まである。1990.3.17撮影(大井八幡宮)

岡部宿~蔦の細道

東海道 岡部宿~蔦の細道の地図
岡部宿へ

岡部宿へ

宿場の南側には、松並木が残る。

蔦の細道入口

蔦[つた]の細道入口

豊臣秀吉の小田原攻め(1590)以前の道で古道の雰囲気がたっぷり残る。

新宇津ノ谷トンネル

新宇津ノ谷トンネル

今は古道の西を新宇津ノ谷トンネルが貫通している。

歌碑

歌碑

古道の中ほどに「伊勢物語」で有名な在原業平の歌碑が建つ.。「駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあわぬなりけり」。

山道

山道

当時は物騒な峠道だった。源実朝の新妻が京から下向中、ここで群盗に襲われ所持の財宝などを奪われた(1210)という。