東海道 一日目の街道歩き旅 [京都~大津~瀬田編]

京都

東海道 京都の地図
三条大橋

三条大橋

弥次郎・喜多八(写真左)とは逆コースで、これより江戸の日本橋を目指す。

擬宝珠と欄干

擬宝珠と欄干

左の石柱には「天正十七年(1589年)津国御影七月」と刻まれている。
この三条大橋は豊臣秀吉によって大工事の結果、天正18年に完成されたという。

三条白川橋道標

三条白川橋道標

京都最古(1678年)の道標。「是よりひだり、ちおんゐん(知恩院)ぎおん(祇園)きよ水(清水)みち」とある。

山科

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JR山科付近

JR山科付近

旧東海道沿いに道標(写真左)が建つ。1707年建。

五条別れの道標

五条別れの道標

「右は三条通」「左は五条橋、ひがしたに、大仏・今ぐま、きよ水道」

大津

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蝉丸トンネル

蝉丸トンネル

蝉丸神社の北にあるトンネル跡。神戸側抗口近くに碑が建つ。

逢坂の関跡

逢坂の関跡

畿内と東国との境界として交通の要所で標高は325m。平安時代、ここは旅立ちの出発点であり、また東国から帰ってくる人々には「逢う」場、再会の場だった。

関近くの歌碑

関近くの歌碑

(写真左)「これやこの、行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」蝉丸(琵琶の名手、盲目)(写真中央)三条右大臣(写真右)「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関は許さじ」清少納言

逢坂常夜灯

逢坂常夜灯

前述の関跡から約300m進んだ所にも立派な常夜灯が建つ。

逢坂山トンネル(東口抗門跡)

逢坂山トンネル(東口抗門跡)

レンガ造りの抗門で1880年竣工。1921年迄使用された。

逢坂山トンネル

逢坂山トンネル

これは外国技術の援助なしで設計施工した日本初の鉄道トンネルだ。碑はないが中央に説明板。東口のみ現存。

大津宿本陣跡

大津宿本陣跡

右に明治天皇碑。前述の逢坂山トンネル完成(1880)の際に出席された。

大津事件の石碑

大津事件の石碑

「此付近露国太子遭難之地」。皇太子ニコライ(のち2世)が警備の巡査に切りつけられ負傷した(1891)事件である。

滋賀県庁

滋賀県庁

大津は全国10番目の古都に指定された(2003)。右端に珍しい車石が展示してある。

車石

車石

逢坂峠道の片側には牛馬専用の道が設けてあった。花崗岩の石板に轍が深く刻まれ(写真中央やゝ右)二列に敷き詰められていた。

なぎさ公園打出の森

なぎさ公園打出の森

昔、石場の船着き場にあった8.4mの常夜灯がここに移設されている。

小舟入の常夜灯

小舟入の常夜灯

江戸時代には矢橋とを結ぶ湖上交通の拠点として小舟入[こぶないり]などの船着場は伊勢参詣の旅人で賑わった。

明智左馬之助、湖水渡り

明智左馬之助、湖水渡り

左馬之助は兄明智光秀の死(1582)を聞いて、安土から坂本城へ退却した。その時、愛馬にまたがり琵琶湖を渡り坂本に帰ったという。

義仲寺

義仲寺

近くの栗津で壮烈な最後を遂げた源義仲が葬られた寺である。

義仲寺境内

義仲寺境内

境内にある木曽義仲公の墓(写真右)。隣には巴塚(写真左)、巴御前の供養塚。

芭蕉翁墓

芭蕉翁墓

前述の義仲の墓と並んで建つ。松尾芭蕉は大坂で客死した(1694)が、その遺言により遺骸は義仲公の墓の傍に葬られた。

石山

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膳所城跡

膳所城跡

琵琶湖の湖水を要害とした実践的な水城。江戸時代の初め、戸田氏が膳所[ぜぜ]城を築き廃城化した大津城から移った。

膳所城跡公園

膳所城跡公園

公園の一角には芭蕉の句碑が建つ。「湖や厚さを惜しむ雲の峰」。

幻住庵

幻住庵

芭蕉は「奥の細道」の長旅の疲れを癒すべく国分山の中腹にある幻住庵に入った(1690)。1991年復元。

瀬田の唐橋

瀬田の唐橋

古代より京都を守る戦略上の要地。

壬申の乱(672)、保元・平治の乱(1156,59)承久の乱(1221)など多くの戦乱において攻防の拠点となった。

船幸祭

船幸祭

近江一の宮建部神社の祭神日本武尊が船で奥州征伐に向かった故事にちなむ。前述の瀬田の唐橋から、みこしは南郷洗いぜき近くまで御座船に乗せられ瀬田川を下る。