日向街道 十一日目の街道歩き旅 [美々津、西都市東米良編]
美々津
権現崎公園
日豊海岸国定公園の南端、権現崎公園にやって来た。ここには照葉樹林が極めて自然に近い状態で残されている。
湊柱神社
遊歩道を歩いていくと、やがて湊柱神社に行き着く。
若山牧水の歌碑
日向灘に向かって若山牧水の歌碑が建つ。祖母の実家が美々津にあった関係で、この町をよく詠んでいる。
若山牧水の歌碑
美々津権現崎にて「海よかげれ水平線の黝[くろ]みより雲よ出て来て海わたれかし」(1964年除幕)。
権現崎
岬の突端は、柱状節理の荒々しい海岸線だ。釣り人が見える。
権現崎
権現崎(写真手前)から対岸の美々津を望む。はるか右には美々津大橋が見える。
美々津
美々津は日向灘の良港。かつては材木や木炭を大阪方面に出荷。
「美々津千軒」といわれ交易の拠点として繁栄した。左は権現山(権現崎)。
聖蹟美々津の碑
立磐[たていわ]神社の境内には「聖蹟美々津」の碑が建つ(1934建)ここ美々津は神武天皇東征の船出の地と伝わり、御東遷2600年記念の大祭が行われた。
碑
近くには「美々津渡し場、高瀬舟終着場跡」碑が建つ。
日本海軍発祥之地碑
巨大な「日本海軍発祥之地」碑が建つ(1942年建)。
海軍発祥地碑
左は和雑貨&喫茶の「民」。右奥は前述の海軍発祥地碑。
旧近藤邸
旧近藤邸は「美々津まちなみセンター。市民の町並みを守る運動や文化継承活動の中心である。
高礼場
高礼場は今、まちなみ広場。美々津は1986年重伝建に指定された。
河内屋
もと廻船問屋の河内屋(1855建)は、歴史民俗資料館に生まれ変わった。
資料館
石畳が整備されている。右は前述の資料館。
中町の町並み
妻入りの家が並ぶ中町の町並み。
旧上町共同井戸
旧上町共同井戸。右は重伝建の説明板。
町並み
西南戦争の西郷軍は熊本撤退後は、宮崎から日向街道を北上し美々津へもやって来た。しかし、それはほんの一時的なことに過ぎなかった。
碑
美々津で特筆すべきことは、重伝建のほか、明治初年(1872~73)に県庁が置かれていたことである。美々津県は165村を管轄下に置いていた。その碑が支所に建つ。
道路元標
町はずれには道路元標(1903建)が建つ。「距宮崎元標拾参里参拾四町拾参間参尺」と実に細かい。 要するに宮崎まで約55㎞である。
西都市東米良
銀鏡神楽
銀鏡神楽は山深い奥日向の寒村で演じられる奇祭である。先ず山で獲った猪の首を祭神に奉納する(撮影1990年)。
銀鏡神楽
神楽は毎年12月14日夜から15日朝9時頃まで行われる。神楽は33番まである。これは4人で舞う「花の舞」。
銀鏡神楽
徹夜の神楽だから、見学には忍耐力と体力も必要だ。これは5番の鵜戸神楽。
室の神
25番の「室[へや]の神」。お多福面に手拭きを被った女装の神がスリコギを持って舞う。子孫繁栄の祈願のようだ。
七鬼神
26番の七鬼神。
獅子舞
29番の獅子舞。
衣笠鬼神
30番の衣笠鬼神[みかさきじん]。田植え神楽で稲作儀礼の舞。児童たちも参加している。
ししとぎり
朝になり銀鏡神楽はハイライト「ししとぎり」(32番)が始まった。二人の狩人が爺面、婆面を祈り山仕事姿に弓矢を持ち登場する。
ししとぎり
狩人二人は、猪狩の様子を面白おかしく演じる。これはユーモラスな門答をしつつ弁当を食べているシーン。
日向街道歩きのコース
コース | ハイライト・見所 | |
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1 | 門司港、小倉 | 門司港レトロ、小倉城 |
2 | 苅田町与原~行橋、中津 | 旧飴屋門、中津城 |
3 | 宇佐神宮周辺 | 本殿、南楼門、西大門、呉橋 |
4 | 豊後高田 | 昭和の街 |
5 | 中山香~田染 | 熊野磨崖仏 |
6 | 杵築の散策 | 杵築城、武家屋敷、坂道ウォ―ク |
7 | 西鹿鳴越~豊後豊岡 | ザビエルの通った道 |
8 | 亀川~東別府 | 竹瓦温泉 |
9 | 大分市街、中戸次 | 府内城、中戸次の町並み |
10 | 臼杵、延岡、日向市 | 臼杵石仏、仁王座歴史の道 |
11 | 美々津、西都市東米良 | 美々津の町並み、銀鏡神楽 |
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