高野街道 四日目の街道歩き旅
[東高野街道 八幡市~四條畷市~古市 編]

八幡市~四條畷市~古市(京都府~大阪府)の位置

地図

東高野街道

京阪電鉄 八幡市(やわたし)駅の東250mの交差点からしばらく南下したところに、モダンな街道碑が建つ。(写真中央)

東高野街道

街道碑

斬新なスタイルだ。「右 松花堂庭園」とある。

街道碑

前方に道標

少し進んだ所に先ほどと同じような街道碑があり、前方には立派な道標(写真中央の辻)が見える

前方に道標

立派な道標

この辻を東へ進めば木津川の渡船場(下奈良、岩田)、北へ進めば京都へ行くことを示している

立派な道標

高野街道

更に約200m先にも道標が建つ。
「岡の稲荷社」「右 高野街道」とある。ここを直進する。

高野街道

円福寺

更に1km南進すると道標がある。ここは右折(写真右奥へ)する。
道標に刻まれた円福寺は、洞ヶ峠への途中にある臨済宗の古刹。

円福寺

洞ヶ峠(ほらがとうげ)

標高63mのなだらかな坂で、八幡と枚方市の境。
本能寺の変(1582年)後の山崎の戦の時、明智光秀に加勢を頼まれた筒井順慶が、この峠で戦況確定まで傍観した。
以来、日和見主義のことを「洞ヶ峠を決め込む」という。

洞ヶ峠(ほらがとうげ)

出屋敷

枚方市の出屋敷は、家並みとともにかつての街道の面影を今に留める。

出屋敷

多田家近くの道標

街道に面する多田家の生垣には、人々の往来を偲ぶように「東高野街道」と刻まれた道標がひっそりと佇んでいる。

多田家近くの道標

出屋敷の説明板

この旧高野街道の歴史は古く、平安時代の官道 南海道に遡るとのこと。

出屋敷の説明板

清滝街道

JR片町線忍ヶ丘駅の南600mに建つ道標と石仏。
左の道標には、「右 清滝街道(奈良経由の伊勢参詣路)」「すぐ(直進の意)東高野街道」とある。

清滝街道

歴史散策道

弘法大師が建立した高野山金剛峯寺と京都の東寺を結ぶ生駒山系西麓路を東高野街道と呼ぶ。(説明板)

歴史散策道

四條畷(しじょうなわて)神社

街道に面している四條畷神社(写真中央奥へ600m)の大鳥居。

四條畷神社

野崎まいり公園

街道は四條畷から大東市に入った。右は野崎観音近くの「野崎まいり公園」正面入り口。

野崎まいり公園

慈眼寺(野崎観音)

街道に面する慈眼寺に、「野崎参りは屋形船でまいろう……」(東海林太郎の昭和10年のヒット曲)と歌われた野崎観音がある。

慈眼寺(野崎観音)

古堤街道

大東市中垣内で古堤街道(手前~中央奥)と直交する。傍らに大きな道標(1600m)が建つ。
高野街道は左から右へ進む

古堤街道

道標

「右 大峯山上道」「すぐ 大峯山上」
前述の野崎観音から南へ約1.5kmの地点 。

道標

石切中の西

石切中学校の西で国道170号線と分れ、ほぼ一直線に南下する。
900m進むと石切神社の参道が見えてくる 。

石切中の西

石切神社

ここが石切神社(写真左奥)の西側参道の入口。 おできの神様である。
立ち寄ってみたが、お百度を踏む人を見かけた。参道にはお店がずらりと並ぶ。

石切神社

暗越奈良街道と直交

東大阪市箱殿に大きな道標が建つ。「東江 すぐ いせ なら道」

暗越奈良街道と直交

羽曳野市古市 箕の辻

ここは竹内街道との交点である。「左大和路」の下に「すぐ(直進) 高野山、金剛山」

羽曳野市古市 箕の辻

古市 箕の辻

高野街道は左奥へ進む。右奥から手前は竹内街道

古市 箕の辻

古市の繁栄

古市 箕の辻から少し東に街道碑があり、傍らの路面にパネル絵図が埋め込んである。
江戸時代の古市の繁栄が偲ばれる。

古市の繁栄

唐津街道歩きコース

コースプラン
  コース 見どころ、ハイライトなど
1堺~河内長野 十三~九里石、晴明塚(西高野街道)
2河内長野~橋本~学文路 紀見峠、学文路(高野街道)
3学文路~高野山(女人堂) 河根の旧本陣、女人堂(高野街道)
4八幡市~四條畷市~古市 出屋敷、野崎観音(東高野街道)
5富田林の散策 寺内町の町並み(東高野街道)
6富田林~河内長野、千早赤阪 赤阪城址、千早城址(東高野街道)
7布施~平野 杭全神社 全興寺(中高野街道)
8平野~河内松原 喜連、瓜破の町並み(中高野街道)