甲州街道 四日目の街道歩き旅 [JR甲府駅~田野編]

甲府~酒折駅周辺まで

甲府~酒折駅周辺の地図
武田信玄公像

武田信玄公像

戦国最強の武田軍団の総帥・武田晴信(出家して信玄と号す)。

上洛途中、病死(1573)したが、あとを四男の勝頼に託す。命日(4月12日)直前の土・日曜には毎年信玄公祭が盛大に行われる。[JR甲府駅前の像]

相生歩道橋

相生歩道橋

甲府は甲斐の国府の略。

駿府、防府、長府と同じ例である。

武田信虎(信玄の父)が石和から館を移した。

相生歩道橋から西の街道景観(美術館通り)。

甲府城(舞鶴城)

甲府城(舞鶴城)

武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命で加藤光泰により築城され浅野長政・幸長父子によって完成した甲府城。

その後は、徳川一門の大名が甲府に入り、江戸防衛の西部拠点だった。

甲府城(舞鶴城)

甲府城(舞鶴城)

別名:舞鶴城。

鶴が羽を広げた(写真中央)よいうな城郭と称えられた。

甲府城石垣

甲府城石垣

甲府城は1727年の火災で焼失。

1872廃城となる。

明治天皇御登臨跡碑

明治天皇御登臨跡碑

城跡には明治天皇御登臨跡碑が建つ。

甲府では学校やブドウ酒醸造所など視察された。

武田神社

武田神社

武田信玄を祭神としてまつる武田神社。

信虎・信玄・勝頼の3代が住んでいた、躑躅ヶ崎館跡に創建された(1919)。

藤村記念館

藤村記念館

国の重要文化財の甲府市藤村記念館。

山梨県最古の学校・旧睦沢学校をここに移築(1966)保存したもの。一連の洋風学校は県令の藤村紫朗が導入した。

石和~笛吹橋まで

石和~笛吹橋までの地図
甲府

甲府

甲府市中央の街道筋。

教安寺

教安寺

JR身延線。

金手駅[かねんてえき]の南300mにある教安寺。

天尊躰寺

天尊躰寺

甲府市城東一丁目にある天尊躰寺。

大久保長安(石見銀山街道を参照されたい)や、前述の山口素堂の墓がある。

石和本陣跡

石和本陣跡

石和[いさわ]本陣跡。

石和はかつて甲斐国府の所在地。

武田氏が甲府に移る前の居住地でもあった。

あし湯

あし湯

小林公園(写真右)近くにあるあし湯。

ブドウ園の中から偶然、温泉が発見(1961)され石和は温泉の町に変身した。

遠妙寺

遠妙寺

石和宿入口にある日蓮宗の古刹遠妙寺。

この付近から鎌倉往還が分岐する。

笛吹川

笛吹川

JAふえふき(写真中央)付近の景観。

左に笛吹川が流れる。

御坂道

御坂道

[参考写真]石和から分岐する鎌倉往還。

甲斐と相模を結ぶ幹線道路で古代には御坂道[みさかみち]と呼ばれた。

歴史の道にセレクトされている。

天下茶屋

天下茶屋

[参考写真]御坂峠にある天下茶屋。

太宰治(1909~48)が執筆活動した所。冨士には月見草がよく似合うと刻んだ文学碑が近くにある。富士山の絶景ポイントの一つ。

~栗原まで

一宮~栗原までの地図

栗原~勝沼まで

栗原~勝沼までの地図

鶴瀬~田野まで

鶴瀬~田野までの地図
JR甲斐大和駅

JR甲斐大和駅

JR甲斐大和駅(旧名、初鹿野[はじかの])。

付近の山から甲州鞍馬石を産出する。右にあるような灯籠や飛石、水鉢などに加工されているようだ。

勝頼公像群

勝頼公像

笹子峠へ向かう前に、この甲斐大和から寄り道をした。どうしても会いたい人(?)がいたからだ。バスの便少なく、とぼとぼと坂道を約40分歩いた。勝頼公(写真左)に励まされるように。

景徳院

景徳院

この景徳院は徳川家康の命で建立された。

看板(写真中央)には勝頼落日の道という字もある。

小高い丘には、妻子ともども自害し果てた勝頼以下の一族と家臣の墓が並ぶ。

景徳院山門

景徳院山門

景徳院の山門だけは幾多の火災を免れ創建以来の面影を残す。

景徳院

景徳院

武田信玄の四男・武田勝頼。名前は武田家の信でなく祖父・諏訪頼重の頼をつけている。

織田・徳川連合軍に追いつめられ、最終的には大菩薩峠越えで妻(関東の北条氏の出身)を助けようとする。しかし、その願いは叶わなかった。

景徳院

景徳院

無念にも、この田野で悲壮な最後をとげた勝頼一家の墓(写真右端から、夫人、勝頼、信勝:勝頼の子の順)。

実はこの3人に会いに来たのだ。

辞世の句碑

辞世の句碑

勝頼父子の辞世の句碑。

嫡男信勝は16才の若さだけに一層哀れを誘われる。

おぼろなる月もほのかに雲かすみ は(晴)れてゆ(行)くへの西の山のは(端) 勝頼

あだに見よ 誰も嵐の桜花 咲き散るほとは 春の世の夢 信勝

茶湯山荘

茶湯山荘

一泊お世話になった茶湯山荘[ちゃとうさんそう]。

(砥草庵)食事処兼民宿、景徳院から近い(約400m)ので助かった。