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石見銀山街道/いわみぎんざんかいどう

萩往還 概略地図

石見銀山街道のルート

(代官所跡=大田市大森)−(羅漢寺)-(清水寺[せいすいじ])-(龍源寺間歩[まぶ])-(降路坂[ごうろざか])

石見銀山の歴史

鎌倉末期

銀鉱発見(1310年頃)

戦国時代

博多の豪商が中国の技術(灰吹法)を導入して石見(大森)銀山が開かれる(1533)。以来、約400年間、世界に銀を産出した。安芸[あき]の毛利氏、出雲[いずも]の尼子氏、周防[すおう]の大内氏らによる争奪戦が展開されたが、結局毛利元就が勝利をおさめ(1562)、約20年の間、石見銀山を支配した。

江戸時代

幕府の直轄地(天領)となり、初代奉行の大久保長安(在任1601〜13)の頃、急速に繁栄した。年間約38t(1万貫)産出する徳川幕府のドル箱だった。生野[いくの]銀山(兵庫県)なども加え、日本は当時、世界の銀産出量の約1/3を占める資源大国であった。

大正時代

1923年(閉山)まで採掘

2007年

世界遺産に登録、アジアで初の産業遺跡

石見銀山街道の意義

世界遺産・「歴史の道」・重伝建・中国自然歩道と四拍子そろう今が旬の街道

年間20万人の観光客が来るという今をときめく人気街道である。街道は自然歩道とほぼ重なっており、「歴史の道」にセレクトされている降路坂周辺の前後を重要伝統的建造物群保存地区の大森の町並みと温泉津[ゆのつ]がつなぐという濃密な歩き旅となる。

シルバーラッシュの面影残る「銀の道」

石見銀山から産出した銀は、この街道を通り温泉津港から海上輸送された。逆に銀山に必要な生活物資が輸送された道でもあった。数万人の鉱山労働者が働き、大森の人口は20万人を越えたという。その後、大久保長安は銀を陸路輸送に切り替えている。安全性が高く大坂まで最短のコース(参考 九日市→島根・広島の県境・赤名峠→三次[みよし]→甲山→尾道[おのみち]、あと瀬戸内ルート)に転換。

コースガイド

アドバイス

代官所から温泉津港まで一気に歩けば約5時間(約15km)の一日コースだがちと味けない。一日ゆっくりと大森の町並み散策がベター。有料の見学箇所は5ヵ所、いずれも9:00からの入場(徳用チケットもある\1,500)。それに最大級の坑道・大久保間歩(期間限定、完全予約制)も加えれば、一日は必要。二日目に降路坂を越え、温泉津の共同浴場で汗を流すのも趣向。ただJR温泉津駅からの列車本数が少ないので要注意。
かといって温泉津から大森方面に向かうと、降路坂の登りがハードなので困ったもんだ。結局、大森方面からの方が標高差が小さいので、おすすめ(この歩き旅コース)

計画

  コース 見どころ
1 代官所跡〜龍源寺間歩 龍源寺間歩
2 坂根口〜降路坂〜温泉津港  

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