越後街道 一日目の街道歩き旅
[神指~会津坂下~舟渡 編]
神指~会津坂下~舟渡の位置

中野竹子の顕彰碑
娘子隊の中心的存在だった中野竹子の顕彰碑と竹子像(中央)が神指町黒川に建つ

竹子像
竹子は会津藩士の娘で男装して従軍した。男をしのぐ武術の達人(薙刀に卓越)にして美貌の持ち主。辞世の句「武士(もののふ)の猛(たけ)き心にくらぶれば、数にも入らぬ我が身ながらも」

高瀬新田の町並み
寄り道をしてしまったが、本来の越後街道に戻る。ここは高久宿(最初の宿場)手前にある高瀬新田の町並み。

常夜灯
高瀬新田に建つ金毘羅大権現常夜灯(左)

法界寺の墓地
会津坂下(ばんげ)の法界寺の墓地。ここに22歳で戦死した中野竹子の英霊が眠る(右)。愛用の薙刀もこの寺に保存されている。

坂下宿
バードも一泊した坂下宿。宿屋を探すのに苦労したという。諏訪神社(右奥)の前で右折する。

越後街道碑
新館前から紋平茶屋までの約500mには旧道が残っている。立派な越後街道碑が建つ(会津坂下町史跡)

塔寺宿
塔寺宿(右下に碑)にやって来た。ここを右折するとすぐに立木観音。街道は直進(左奥へ)である。

坂下宿方面
坂下宿方面をふり返る

立木観音
千手観音をまつる「立木観音」(恵隆寺)。会津ころり三観音(参拝すればコロリと往生できる)の一つである。

旧五十嵐家住宅
前述の立木観音に隣接している旧五十嵐家住宅(国重文)

中堅層農家の住宅
中堅層農家の住宅で1955年頃まで住居として使用されていたものを、この地に移築した。

塔寺宿
塔寺宿の町並み。立木千手観音の巡礼で賑わった。

面影
旧宿場の町の面影が残る塔寺の町並み

気多宮
この気多宮(けたのみや)も宿場街で、飯盛女などをかかえた旅籠屋が軒を連ねた

道標
気多宮で街道は右折(中央奥へ)し鐘撞堂峠へ向かう。民家の脇に道標(左)が建つ。

分岐点
追分道標には「是より右、越後路」「是より左、柳津路」とある。柳津道との分岐点である。

一里塚跡
一里塚跡(右中央に木柱)

旧越後街道跡
すぐ近くに旧越後街道跡が残る

旧道
旧道が約500m現存している。もちろん、車は通れない。雑草の道だが、かなりの近道である。

君の井酒造
ここ舟渡(ふなと)宿は川向こうの片門と交代で宿場の任務を分担した。いわゆる合宿である。

舟渡の町並み
舟渡の町並み。街道の面影が残る。

越後街道歩きコース
コース | 見どころ、ハイライトなど | |
---|---|---|
1 | 神指~会津坂下~舟渡 | 塔寺宿 |
2 | 片門~束松峠~野沢 | 束松峠 |
3 | 喜多方の散策 | 蔵のある町並 |
4 | 鳥井峠越え | 車峠、鳥井峠 |
5 | 八木山~津川 | 麒麟山、諏訪峠石畳の道 |
6 | 諏訪峠越え | 中の茶屋跡、行地 |
7 | 新谷~綱木~赤谷 | 下綱木 |
8 | 赤谷~五十公野~新発田 | 五十公野公園、新発田城 |
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