日見峠越え 日見宿~長崎宿 長崎街道 七日目の街道歩き旅
日見峠は長崎街道経由で長崎に入る最後の要衝で、「西の箱根」の異名があった。日見宿から日見峠を越えて長崎を目指す。
日見宿~日見峠越えまで
日見峠への長崎街道
日見峠に向かって長くてハードな坂が、これから続きます。
歯痛観音
観音に願いをかけると歯痛が直るという「歯痛観音」が長崎街道沿いにある。
日見峠へ向けた道中の景色
住宅街の坂道をダラダラと登る。
R34号合流点
急坂を登ると高速道の工事現場が現れ、やがてR34号にぶつかる。
日見トンネル
日見峠へは、日見トンネルの東側の脇から急坂[写真左の白い鉄パイプ]を登る。
傍に日見トンネルに関する説明板がある。
日見トンネルの説明板
説明板の拡大写真。
看板によると、日見トンネルは技術的にもデザイン的にも貴重な文化遺産として、平成13年に登録有形文化財として登録されている。
芒塚句碑
日見峠への急坂の途中にある芒塚[すすきづか]句碑。芭蕉120 回忌と芭蕉の弟子で長崎出身の向井去来110回忌に際し、長崎の俳人たちが建立したもの(1813)。3基のうち、中央が去来の句碑。
「君が手もまじるなるべし花薄[はなすすき]」(1689年の句)。右は去来を顕彰する献句。左は去来を紹介する漢詩。ここからの眺望も素晴らしく休憩地に良い。
日見峠東側の登り
日見峠東側の登り坂道は急勾配。
さすが「西の箱根」といわれるだけのことはある。
日見峠の西側は比較的緩やか。
この辺りは、古道らしいムードが漂う。
明治新道
明治になって峠頂上部を切通した新道[写真左]が開かれた(1882 明治新道)。
これは日本初の有料道路となった。ここから、日見峠への上り口[写真右奥]が分岐する。
日見の由来
戦国期、長崎氏のライバル深堀氏が夜間、網場[あば]に上陸し、大軍がいるかのように盛んに火を焚いたことが「火見」転じて日見になった由来とか。
日見峠関所跡
日見峠関所跡。
日見峠の関所は戦国期から置かれていた。
この先、長崎街道の道筋は判然としない。どうもヤブの中に消えているようだ。
新茶屋跡碑
明治新道を下って[写真左の車の方から]くると路傍に新茶屋跡碑[写真右]がある。
ここをヘアピンカーブして坂を[写真左端]下る。
長崎街道碑
長い下り坂が続く。
さりげなく街道碑[写真中央]が建つ。
「長崎街道 日見峠路」
長崎街道歩きのルート
長崎街道を歩くコースを8つに分割して紹介しています。リンク先を開いてご覧ください。
長崎街道歩きコース | 長崎街道のハイライト・見所 | |
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長崎街道 | ||
1 | 小倉~木屋瀬宿 | 常盤橋・黒崎の松並木・木屋瀬の町並み |
2 | 内野宿~原田宿 | 冷水峠 |
3 | 佐賀宿 | 佐賀市内(柳町通り、エビス像)・吉野ヶ里歴史公園 |
4 | 塩田宿~彼杵宿 牛津~合流地点 |
塩田宿・俵坂峠 |
5 | 大村宿~諫早 | 鈴田峠 |
6 | 諫早~日見宿 | 井樋ノ尾峠、諫早公園 |
7 | 日見宿~日見峠 | 日見峠 |
8 | 日見峠~長崎 | 日見峠から長崎市内 |
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