長崎街道 一日目の街道歩き旅 [小倉宿~木屋瀬宿編]
小倉宿~極楽寺周辺
小倉駅前説明板
JR小倉駅前、「そごう」東入口に参勤交代往還路の説明板が建つ。
また路面にも刻字されている。JR小倉駅の位置をGoogle Mapで確認
常盤橋「木の橋」
JR小倉駅から西へ400m。紫川にかかる「木の橋」。これが長崎街道など五街道(他に唐津、秋月、門司往還、中津街道)の起点となる常磐橋。
常盤橋の西詰
常盤橋の西詰。江戸時代を偲ばせる「木の橋」である。
森鴎外文学碑
鴎外橋の西詰の傍に立つ「森鴎外文学碑」。
鴎外生誕(1862)100年記念。六角形の各面には鴎外の作品から抜粋した文が彫られている。
室町通り
常磐橋を渡ると室町通りが約400m続く。橋近くに現代の茶屋[写真右]があり、看板には「長崎街道」。赤い幟には「白象くんまんじゅう」。これは恐らく江戸時代に象が常磐橋を渡ったことに由来する商魂か。
安国寺
安国寺。芭蕉や森鴎外ゆかりの名刹で足利尊氏が創建したという。街道は、この辺りから南進する。
到津口門跡
郵便局・小倉西局[写真右奥]の隣に、西日本新聞社があり、前に「到津口門跡」の説明板が建つ。「到津口」は小倉城からの出入口(十口)の一つである。
極楽寺~黒崎宿
黒崎宿東構口跡碑
JR黒崎駅の東500mに黒崎宿東構口跡碑が建つ。海蔵庵。古刹である。なお構口[かまえぐち]は宿場の出入口のこと。
御茶屋の跡
JR鹿児島本線の踏切を越え、約150m進むとアーケードに入る。そこで見かけた黒崎宿絵図。付近は工事中のようです。
黒崎宿~西法寺周辺
熊手銀店街
この橋は、かつて流れていた中川(中橋川)を偲ぶものである。今は暗渠化され大通りになっている。正面が熊手銀天街(アーケード)。
イラスト看板
坂本龍馬、西郷隆盛、吉田松陰、シーボルトなど歴史上の人物のイラストを描いた大きな看板が目をひく。
黒崎宿
黒崎宿は海上交通の便もあり、筑前六宿中で最も繁栄した城下町。
現北九州市八幡西区。
乱橋
かつて蛍が乱舞したという乱橋。石碑[写真右]に「筑前六宿街道」とある。
これは長崎街道のことで、「六宿」とは、ここ黒崎宿以南、木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田宿を指す。
長崎街道入口
交差点の名称は、その名もずばり「長崎街道入口」である。
曲里の松並木
「曲里[まがり]の松並木」・この松並木は1945年頃まで、次の宿場(木屋瀬宿)まで続いていたとのこと。
長崎街道では、ここしか残っていないのは残念。
西法寺~木屋瀬宿
木屋瀬宿
木屋瀬宿は長崎街道の筑前六宿の一つ。木屋瀬宿は特に遠賀川畔の水陸交通の要所として繁栄した。
この「江戸あかり民芸館」のあたりから、往時の面影を残す町並みが約900m続く。
木屋瀬宿本陣跡
永源寺の脇にある木屋瀬宿本陣跡(御茶屋門)
木屋瀬宿の鉤の手
長崎街道はここで左へ直角に曲がる。いわゆる「鉤の手」になっている。正面には、「長崎街道木屋瀬記念館」が見える。
写真左は木屋瀬宿の問屋場跡。
みちの郷土史料館
このみちの郷土史料館の前に、里程標[写真右]があり、
「福岡13里34町25間」と大へん細かい。早い話、福岡まで52.3kmである。実はこの記念館で学ぶことが多く、職員さんも親切で思いがけず長居をしてしまった。
船庄屋跡
梅本家。年貢米輸送船の管理をしていた船庄屋跡。
木屋瀬の風景
木屋瀬宿の町並み。
旧高崎家住宅
旧高崎家住宅。平成6年、北九州市の文化財に指定された。またここは、木屋瀬出身の放送作家・劇作家、伊馬春部[いまはるべ](1904~84)の生家でもある。「向う三軒両隣り」「本日は晴天なり」のラジオドラマが有名です。
西構口跡
木屋瀬宿の南端にある「西構口跡」
役人によって見張られていた所である。
分岐道標
西構口の傍に分岐道標。
「従是 右、赤間道(唐津街道)、左飯塚」。
これはレプリカで本物は交通事故で破損した。
長崎街道歩きのルート
長崎街道歩きコース | 長崎街道のハイライト・見所 | |
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長崎街道 | ||
1 | 小倉~木屋瀬宿 | 常盤橋・黒崎の松並木・木屋瀬の町並み |
2 | 内野宿~原田宿 | 冷水峠 |
3 | 佐賀宿 | 佐賀市内(柳町通り、エビス像)・吉野ヶ里歴史公園 |
4 | 塩田宿~彼杵宿 牛津~合流地点 |
塩田宿・俵坂峠 |
5 | 大村宿~諫早 | 鈴田峠 |
6 | 諫早~日見宿 | 井樋ノ尾峠、諫早公園 |
7 | 日見宿~日見峠 | 日見峠 |
8 | 日見峠~長崎 | 日見峠から長崎市内 |
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