山陽道 五日目の街道歩き旅 [兵庫県有年~岡山県伊部編]
有年駅~坂折池まで
道標
JR有年[うね]駅から西へ行くと道標(写真中央)があり、左へ進む。
右の道はJR上郡方面。
有年宿番所跡
有年宿番所跡(旧松下家宅跡)は、赤穂藩役人が出張の際に宿泊し、前庭を白洲にして番所として利用した。
宮東遺跡
西有年・宮東遺跡と書かれた白い木柱が建つ。
西有年五輪塔
西有年向山の五輪塔。
標柱(写真左)の説明によれば、手前の道が筑紫大道とある。これは山陽道のこと。
一里塚跡
坂折池付近
坂折池付近で道に迷う。
とにかく街道の案内板らしきものが皆無。
どうやら、ここが有年峠への道筋らしい。
有年峠~梨ヶ原宿まで
梨ヶ原宿
何やら街道らしき雰囲気。
説明板(写真右)を読み、それを確信した。
ここは梨ヶ原宿である(上郡町)。
梨ヶ原・宿遺跡
説明板によると、南北朝時代の頃に梨原商人がおり、街道沿いの流通の基地だったということである。
道中の風景
梨ヶ原宿を過ぎると、いよいよ船坂峠である。
船坂峠~一里塚跡まで
船坂峠
播磨・備前の国境である船坂峠。
古代から山陽道の難所の一つとされた。
県境碑
縣界 東宮殿下行啓記念 岡山縣 と刻まれた県境碑がある。
船坂山いこいの広場
県境碑の傍に、船坂山いこいの広場の碑が建つ。傍に船坂山義挙の碑についてと書かれた大きな碑も建つ。
国境碑
この船坂峠には、播磨・備前の国境碑が立っている。
南向きに
従是西備前國 とある。
船坂山義挙の碑
この船坂峠で、隠岐に流される後醍醐天皇を児島高徳が奪おうとしたが失敗した(太平記による)。この石碑は紀元2600年(つまり昭和14年)に建てられた。
三石一里塚跡
石垣の上に、三石一里塚跡の木標が建つ。
三石一里塚跡
三石[みついし]一里塚跡。
三石宿場で、古くから交通の要衝でもあった。
一里塚跡
明治天皇八木山御小休所阯の碑(写真中央)、御幸碑(写真左)、旧山陽道八木山一里塚跡の碑(写真右)が建つ。
一里塚跡~片山宿付近まで
道中の風景
片山宿はもうすぐである。
藤之棚茶屋跡
藤之棚茶屋跡(備前市伊里)
片上宿
片上[かたかみ]宿(備前市)は、吉井川水運の拠点として、大いに栄えた。
一里塚跡
金ヶ崎神社の鳥居。
もとは黒岩神社と呼ばれていたが、住吉神社と合祀したため金ヶ崎神社と改称した。
片山宿~伊部駅付近まで
山陽道(西国街道)を歩くコース
区間 | 山陽道のハイライト・見所 | |
---|---|---|
山陽道/西国街道 | ||
山陽道(西国街道) | ||
1 | 西宮~須磨 | ・西宮公園角の常夜燈型道標 --以下は街道から外れる-- ・能福寺(日本三大仏のひとつがある) ・南京町、ルミナリエ |
2 | 須磨~東加古川 | 須磨浦公園 (源平一の谷古戦場・芭蕉の句碑・蕪村の句碑 等多くの句碑があります) |
3 | 東加古川~姫路 | 御着城跡公園 |
4 | 姫路~有年 | 姫路城 |
5 | 有年~伊部 | 船坂峠 |
6 | 伊部~岡山 | 岡山城 |
7 | 吉備津~矢掛 | 吉備路風土記の丘県立自然公園 |
8 | 矢掛~神辺 | 矢掛宿、神辺宿 |
9 | 神辺~尾道 | 尾道市内 |
10 | 尾道~本郷 | 三原城跡 |
11 | 本郷~西条 | 西条宿、松子山峠 |
12 | 西条~広島 | 大山峠 |
13 | 広島~玖波 | 四十八坂、周辺に原爆ドーム |
14 | 玖波~周防高森 | 欽明路峠、周辺に錦帯橋 |
15 | 周防高森~徳山 | 呼坂宿と松陰歌碑、遠石の町並み |
16 | 新南陽~防府 | 浮野峠、毛利庭園、毛利博物館 |
17 | 防府~嘉川 | 防府天満宮、どんだけ道 |
18 | 厚東~小月 | 吉田宿 |
19 | 小月~下関 | 長府城下町 |
Copyright(C) 街道の旅.com All rights reserved.