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  1. 概要
  2. 橋本駅〜片倉駅

高野参詣道
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  1. 概要
  2. 180町石〜大門

七ヶ宿街道

  1. 概要
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長崎街道 五日目の街道歩き旅 【大村宿〜永昌宿編】

大村宿〜大神宮神社周辺まで

長崎街道 大村から大神宮神社周辺までの地図
長崎街道 中央商店街

中央商店街

街道は中央商店街のアーケードを通る【写真中央奥へ】。

長崎街道 大村宿

大村宿

長崎奉行や諸大名が宿泊した本陣が置かれていた中央商店街。大きな看板が目に飛び込んできます。

長崎街道 大村宿 アーケード街

アーケード街

ここ大村宿でも、佐賀宿と同じように「ひなまつり」開催中でした。

長崎街道 草場橋

草場橋

鶴亀橋の手前で左折し、約150mで右折する。

JR大村線ガードをくぐるとまもなく、この草場橋が見えてくる。

長崎街道 街道名プレート

街道名プレート

国立病院長崎医療センターの東側からの入口が分からず一苦労。ようやく、この坂道で街道名プレート【写真左】を発見。この坂を下り荒川の橋を渡る。

長崎街道 細長い街道碑

細長い街道碑

珍しく車道ではない街道。

古道の雰囲気。

細長い街道碑【写真左】も建っている。

長崎街道 蕨の尾峠

蕨の尾峠

この「蕨【わらび】の尾峠」は約200m続く、なだらかな山道である。老人ホーム清和園の北側を通っている。

長崎街道 大神宮神社

大神宮神社

街道は長崎自動車道の下をくぐり、郵便局・鈴田局付近から南東に向きを変えJR大村線を越える。

約150m進むと大神宮神社【写真】があり、ここを左折する。

 

 

大神宮神社〜永昌宿まで

長崎街道 大神宮神社から永昌宿までの地図
長崎街道 街道碑

街道碑

石畳の坂を登っていくと、日焼けポンプ室【写真左上】が見えてくる。例の街道碑も建つ。この先、迷いかけたが、軽トラの地元男性が親切に教えてくれた。

長崎街道 渡辺伝弥九の墓

渡辺伝弥九の墓

この辺りは果樹園や畑が広がっている。街道碑の傍らににキリシタン大名・大村純忠の家臣、渡辺伝弥九の墓【写真左下】がある。

長崎街道 高圧送電線の鉄塔

高圧送電線の鉄塔

高圧送電線の鉄塔【写真右上】の方へ向かっていくと、やがて急坂となる。

長崎街道 藩境駕籠建場跡付近の鈴田峠道

藩境駕籠建場跡

大名などの休憩所である藩境駕籠建場跡付近の鈴田峠道。静寂の世界。

ここは、平成8年文化庁より「歴史の道100選」に選定された。

長崎街道 鈴田峠

鈴田峠

鈴田峠。うっ蒼とした感じがなく、上空から日がさすので明るい。

冷水峠とは好対照。

長崎街道 硯石・弁慶の足形石

弁慶の足形石

この巨石【写真右】が国境石で、硯【すずり】石とも、弁慶の足形石ともいわれる。

現在でも大村市と諫早市【写真手前】のボーダーライン。

長崎街道 大渡野番所跡

大渡野番所跡

大渡野【おおわたの】番所跡。

領民の出国や他領からの入国を取り締まったところ。

長崎街道 大村街道の説明板

大村街道の説明板

峠道を下りてきた所に街道碑と「大村街道」の説明板が建つ。

先程、通ってきた鈴木峠からここまでの1.5kmを特に大村街道と名付け諫早市文化財に指定している。

長崎街道 鎮西学院高校

鎮西学院高校

R34号を横断して600m進むと鎮西学院高校の東側(校門)を通る。

この付近は中井原【ながいばる】風致地区【写真左に碑】になっている。

長崎街道 中井原の堀切

中井原の堀切

街道は「中井原の堀切」といわれる高さ2mほどの堀切の中を通りJR諫早駅方面へ向かう。

通学路でちょうど小学生の下校時【写真中央の赤ランドセル】でした。

長崎街道 石茶屋跡

石茶屋跡

心太【ところてん】が名物だった石茶屋跡。

庭先にあったという亀甲文の巨石【写真左下】が道端に残る。

勝海舟が座って休んだとか。JR諫早駅は東へ約700mの所にあります。

長崎街道 曹洞宗蓮光寺

蓮光寺

旧諫早街道(多良街道)に沿う曹洞宗蓮光寺【写真上】

長崎街道 眼鏡橋 石橋での国指定重要文化財第一号

眼鏡橋

諫早公園内の眼鏡橋(1839完成)。もと本明川に架けられていたが、その堅固さが逆に仇となり水害(1957)禍を大きくしたため、ここに移転した。

しかし容姿端麗、品格がある。花咲く5月頃だと最高だろうな。

石橋での国指定重要文化財第一号。

長崎街道 本明川の飛び石

本明川の飛び石

本明川【ほんみょうがわ】の飛び石。

この飛び石は、橋がなかった頃の重要な交通手段だった。

現在は市民の憩の場となっている。