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長崎街道/ながさきかいどう
街道のルート小倉(現北九州市)常盤【ときわ】橋から、木屋瀬、山家、神崎、佐賀、嬉野。彼杵、大村、諫早を経て肥前・長崎に至る57里(223km)の街道。宿場数は25宿以上で通行には6〜7日所要した。 江戸時代平戸に通じる唐津街道に代り、この街道を整備し九州において最重要視した。家康は、長崎を天領(直轄領)と定め海外貿易の拠点とした。 別名福岡藩領では「冷水【ひやみず】道」「筑前六宿」とも呼んだ・また最近では「シュガーロード」という名称も目にする。 街道の特異性他街道とは異なり、この長崎街道は海外の物資、文化、学問、技術、文献それに海外情報(主としてカピタンが提出した「オランダ風説書【ふうせつがき】による)などが移入された重要なルートであった。 カピタン(オランダ商館長)新任カピタンは、江戸で将軍に拝謁する習慣があり、その際に対日貿易許可の返礼として献上品を贈ることが義務付けられていた。 カピタンの任期は原則1年のため、江戸参府は1850年まで計166回に及んでいる。この歴代カピタン(162代続く)たちも、大名と同等の扱いを受け、長崎街道を利用し江戸まで往復した。それは総勢150〜200人、3ヶ月を要する大旅行であった。 黄檗【おうばく】宗1654年 長崎に渡来した隠元が伝えた新しい禅宗である。時の将軍・家綱の援助を受け京都(宇治)に万福寺を開くが、長崎(崇福寺)も、もう一つの中心地となり僧侶たちが長崎街道を往来した。 異国の珍獣象、キリン、ラクダ、オランウータン、ロイアルト(ナマケモノの一種)、ヤマアラシ、トラ、鷲、孔雀、七面鳥、火食鳥、青インコなどが街道を往来した。ラクダは「おしどり」のようにぴったり寄り添って歩いた人気者だった、 しかし、「スーパースター」は1728年長崎に入港したベトナム象である。実は時の将軍吉宗のリクエストで来日したのだが、翌春から2ヶ月半かかって江戸に到着し、将軍、諸大名の前で曲芸を披露した。 道中、小倉や大坂でも大変な評判で京都・御所では天皇・上皇ともに謁見した。特に長崎街道の小倉宿では数日前から場所取り合戦をするほどの騒ぎ。 このゾウ(7歳の男児)くん一日16〜20Km歩いたとのことである。 現在の長崎街道R200号、R34号に継承され、JRでは筑豊・長崎・佐世保・大村線に相当する。 往来した歴史上の人物(a)オランダ商館関係ケンペル・シーボルト・ツンベルク・フィッセル・レフィスゾーン・ヅーク・ブロムホフ (b)蘭学・医学関係平賀源内・緒方洪庵・高野長英・大槻玄沢・稲村三伯・前野良沢・工藤平助 (c)絵画・詩文関係司馬江漢・頼山陽・田能村竹田・菅井梅関 (d)藩士・軍人関係吉田松陰・坂本龍馬・河井継之助・西郷隆盛・大隈重信・乃木希典・大田南畝 (e)その他伊能忠敬・高山彦九郎・林子平・三条実美・種田山頭家 長崎街道歩きコースプランコース
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