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長崎街道 六日目の街道歩き旅 【永昌宿(諫早宿)〜日見宿編】
永昌宿(諫早宿)〜井樋ノ峠越えまで
さやんごぜんの碑
佐代姫橋【写真右枠外】の手前にある「さやんごぜん」の碑。
交通安全と疫病除けの神・道祖神などが、近くに祀ってある。
お馬の水
総合農業試験場を過ぎると「お馬の水」がある。
通行中、馬に水をやった所で、今も清水が湧き出ている。
木製の街道碑
長崎自動車道のくぐる手前の交差点で偶然見つけた木製の街道碑【写真右】。
木柱は珍しい。
赤松坂の由来
赤松坂を下ってきたところ。
かつて1本の赤松が坂の上の方にあったのが名前の由来とか。
赤松坂の出口
赤松坂の出口。
長崎側からは入口。
街道碑
菜の花畑の角に建つ街道碑。
旧茶屋橋
また長崎自動車道の下をくぐり、約300mで右折。
旧茶屋橋【写真中央】を渡り、山のほうへ向かっていく。
久山茶屋跡の井戸
坂本龍馬も飲んだという久山茶屋跡の井戸【写真右】が残っている。
井樋ノ尾峠への道中
街道は、ここでヘアピン・カーブして井樋ノ尾【いびのお】峠へ向かっていく【写真中央奥へ】。
峠茶屋跡碑・郡境碑
峠茶屋跡碑と郡境碑が建つ井樋ノ尾峠。
「高来郡久山」(今、通過してきた)と「彼杵郡喜々津」のボーダーラインである。
峠茶屋跡碑・郡境碑
左の郡境碑を反対側からとった写真。
この峠は「歴史の道100選」にも選定されている。
清水の祠
清水の祠【写真左下】があり、こんこんと清水が湧き出している。
なだらかで明るい峠道である。珍しくトレッキング中の中年夫婦にすれ違った。
御駕籠立場跡
御駕籠立場跡。
ここで長崎奉行や大名の行列が休息し周囲の眺望を楽しんだ所である。
道中の風景
長崎自動車道の彼方には大村湾方面の展望が広がる。
椎木坂
椎木【しいのき】坂を下る。
この付近では、コンクリートの四角い坂を並べ舗装されている。
井樋ノ尾地茶屋跡
名物・心太【ところてん】を売ってた井樋ノ尾地茶屋跡【写真左中央】が前方に見えてきた。
天川橋
茶屋跡付近に架かる天川橋。
手前が長崎方面。
朱刻の街道碑
分岐点に朱刻の街道碑と多良見ライオンズクラブの道標。
長崎方面は手前。
長崎自動車道
長崎多良見I・C【写真左へ約1.5km】付近の長崎自動車道。
領境石
いよいよ長崎市に入ります。多良見町との境界には立派な長崎街道説明碑(1985建造)と領境石【写真中央】が並んで建つ。
領境石〜日見宿まで
古賀の藤棚
JR市布駅(長崎本線)の南1.2kmにある「古賀の藤棚」。
旅人はここで休息し、みやげに古賀人形
古賀人形は、京伏見人形・仙台の提人形と並ぶ日本3大土人形
を買い求めたであろう。
案内板
中里町付近の街道。
「九州自然歩道」の案内板が建つ。
教宗寺
矢上は島原街道との分岐点でもあり、大きな宿場だった。
例の象もこの教宗寺で宿泊したり、シーボルトもこの寺で昼食をとっている。
矢上神社
街道は、この矢上神社前を直進する。
鳥居の前には「矢上宿跡」碑【写真右】が建つ。
諫早領役屋敷跡
諫早領役屋敷跡。
屋敷の石垣【写真下の左・右】は「亀の子くずし」という積み方で諫早石工の技術が見られる。
矢上番所跡
番所橋の近くにある矢上番所跡。
役人が往来者の取締まりや警備にあたった。
鳥合場
矢上宿の南でR34号と離れ日見宿に向かうが、道筋がよく分からず(旧道寸断されている)苦労した。
長崎街道をサイクリングしている男性が近くにいて彼も悩んでいた。結局、鳥合場【とろしば】という地名のこの坂を登っていけばよい。
領境石
坂の上に領境石が建つ。
黒ずんで読みづらいが
「従是北佐賀領」裏には、
「彼杵【そのぎ】郡之内日見境」。
この石碑は団地建設でここに移設された。日見宿へは写真左奥へと下っていく。
腹切坂
腹切坂。
ある大名の家臣が、町人となっていた平家落人の末裔に試合を申し込んで負け、武士の面目を保つため、ここ日見宿で切腹して果てたという。
日見宿
この日見宿は、長崎へは近い(約8km)ので宿泊施設はなかったが、人馬継立【つぎたて】は整っていた。
三国屋橋
三国屋橋【写真左中央】を渡り、ゆるやかや坂を登っていく。
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