秩父往還/ちちぶおうかん

秩父往還とは

秩父往還は、中山道の熊谷宿から秩父大宮、雁坂峠を越えて甲府で青梅街道に接続する脇街道で、秩父往還道、秩父甲州往還、熊谷通、彩甲斐[さいかい]街道、雁坂みち、甲州裏街道、雁坂街道など多くの通称で呼ばれたいた。

秩父往還のルート

<中山道>-(熊谷[くまがや])-(小前田)-(寄居[よりい])-(矢那瀬)-(野上)-(金崎[かなさき])-(秩父大宮)-(贄川[にえかわ])-(大滝)-(栃本)-[雁坂峠]-(広瀬)-(天科[あましな])-(川浦)-(藤木)-(小屋敷[おやしき])-(三日市場)-(七日市場)-(小原西)-<青梅街道>
R140号とほぼ重なる。

江戸から秩父への別ルートもある。

[川越通](川越)-(高坂)-(小川)[粥新田[かいにた]峠](標高538m)
[吾野[あがの]通](所沢)-(飯能)-(吾野)[正丸[しょうまる]峠](650m)

これが江戸からの最短路で、現在の西武池袋線にほぼ重なる。
なお、(寄居)-(折原)[釜伏[かまぶせ]峠](533m) (三沢)-(大野原)を経て秩父に至るルートもあった。
要するに秩父往還は数個のルートがあったのである。

秩父往還の歴史

秩父往還の道標

秩父往還と中山道の分岐点に建つ道標(熊谷市石原)「ちゝふ(秩父)道、志まふ(四萬部[しまぶ]寺)へ十一(里)」とある(写真左)。四萬部寺は礼所1番で巡礼は先ずここを目指した。「宝登山道」(写真右)の碑も建つ。現在、これらの碑は近くの公園に移設されている。

秩父往還

秩父往還は日本のシルクロード

山に囲まれた秩父地方は古くから山間村落の養蚕によって生糸や絹織物が生産された。秩父銘仙の産地として知られ諸国の絹商人の往来の多かった。祭日には絹市が立ち、多い時には7,000疋の取引きがあったという。
大正の初期、大滝や栃本の人たちは秩父往還を通り甲州の川浦や塩山までマユを運搬した。その頃は、むしろ秩父よりも甲州の方が近かったのである。

信仰の道としての秩父往還

秩父の観音霊場34ヵ所巡りの道は西国、坂東と合わせて100ヵ所になることから巡礼で大いに賑わった。江戸時代には月に1万人以上の人が訪れたという。他には三峰山、善光寺、身延山(身延道を参照されたい)参詣や伊勢講の人々でもあった。

甲斐の武田信玄により軍用道として整備された秩父往還道

甲斐九筋の一つ、雁坂口で甲州と関東を結ぶ重要な街道だった。雁坂峠道には、のろし台を置いて見張り栃本に関所を設置した。また武田武士残党が逃避行に利用した道でもある。

最大の難所・雁坂峠は旅人泣かせの8里の道

伝説では日本武尊が蝦夷平定のために利用したという日本最古の峠道。
標高は2,082mで、南アルプスの三伏峠や北アルプスの針ノ木峠と共に日本3大峠に数えられている。長らく「開かずの国道」と言われたが、1998年4月に峠直下を「雁坂トンネル」(延長約6.6km)が開通した。

秩父往還歩き旅アドバイス

秩父は魅力的な街である。少なくとも2回は訪れたい所だ。それは芝桜が開花する春(4月下旬~5月初)と夜祭がある冬(12月3日)の2回。いずれも大変な人出があるので要注意。
街道と直接関係ないが、札所巡り(34ヵ所)総距離は約100km。道標は完備している。

秩父往還歩きコースプラン

秩父往還歩きコース

  秩父往還歩きコース 秩父往還歩き見どころ、ハイライト
1 長瀞と羊山公園 岩畳、羊山公園の芝桜
2 札所めぐりと秩父の町並み 音楽寺、小鹿坂峠、金昌寺
3 秩父夜祭 屋台の彫刻、屋台芝居
4 贄川宿と三峯神社表参道 贄川、登竜橋、清浄の滝
5 三峯神社~秩父湖 随身門、拝殿周辺、遙拝殿
6 麻生~栃本~川又 栃本関所、栃本の景観
7 西沢渓谷 西沢渓谷の大自然
8 広瀬~三富(一之橋) 広瀬湖、川浦番所
9 三富~亀甲橋 放光寺、恵林寺