梼原街道 三日目の街道歩き旅 [天忠トンネル~九十九曲峠編]
天忠トンネル~大越峠まで
忠魂碑
天忠トンネルの手前に、忠魂碑が建つ。下部には吉村虎太郎の名前も見える。
魔よけ
街道から少し離れた所に大ワラジがつるしてある。
魔よけで、宮谷地区の祭りのときに作る。
当別トンネル
旧、当別トンネルの手前で偶然見つけた道標につられて登ってみた。
当別峠茶屋跡
ここが、当別峠茶屋跡。
1962年のトンネル開通後、廃道化したようだ。
当別峠
峠道をふり返る。
写真左奥が当別峠への道。
中平善之進の像
やがて高野集落に着くと街道沿いには、中平善之進の像が建つ。彼は農民救済のため一揆に立ちあがった義民・庄屋である。
茶堂
すぐ近くに、茶堂[ちゃどう]という小さなあずまやが建つ。各集落でお祭りごとをしたり、寄り合いをする場として使われた。隣の梼原町にも、多くの茶堂が残された。
三嶋神社
茶堂から少し下がった所に、三嶋神社[写真左]があり、境内には高野の舞台[写真右]が並んでいる。これは日本で唯一の現存の手動回転の舞台である。
高野の舞台
この廻り舞台では、津野山古式神楽(国の重要文化財)が演じられる(11月3日)。
野越トンネル
R197号の野越トンネル手前。
写真右手に道標が見えてきた。
坂本龍馬脱藩の道
津野町の道標は、イマイチだったけれど、梼原町の脱藩の道はよく整備されている。このような道標[写真左]や維新の道・坂本龍馬脱藩の道の誘導板がふんだんに登場するので嬉しい。
野越峠
ここが野越峠。
津野町(旧東津野村)と梼原町の境界である。
説明板
野越峠の説明板。
道標
野越トンネル西口近くの旧道。
案内板や道標が充実しているので、迷うことはない。
茶堂
坂道を少し進むと、茶堂が建つ。
ここからの眺望が抜群。少し休憩したいところである。
神在居の千枚田
神在居[かんざいこ]の千枚田。急勾配に棚田が続く千枚田の風景を見て梼原町を訪れた(1985)司馬遼太郎氏は「万里の長城にも匹敵する大遺産やな」と驚嘆した。
道中の風景
街道は南の方へ迂回するように半周して、ここに至る。先程、千枚田を眺望した茶堂が写真中央奥に点のように見える。少し進むと前述の中平善之進打首の地に出る。
維新の道碑
R197号沿いの太郎川公園(道の駅ゆすはら)の一角に建つ維新の道碑。
建立当時(1984)の中曽根康弘首相の筆による。
ふるさと広場
ここ太郎川公園にはふるさと広場があり懐かしい昔の田舎が体験できる草葺き民家や水車小屋などがある。
太郎川公園
公園内の旧道を進む。
近くにはレストランや温泉があるので休憩には最適。
前田繁馬の屋敷跡
維新の志士・前田繁馬の屋敷跡を右上に見て、川沿いに進んでいく・
那須邸跡
ちょっとした山道を登っていくと、龍馬が宿泊した那須邸跡に着く。那須俊平はやりの達人、のち禁門の変(1864)に参戦。養子の信吾は前述の天誅組に参加。
この父子の道案内で脱藩した。
化粧坂
化粧坂付近の景観。
古道らしい雰囲気が漂う。
その昔、この坂で娘が乱れ髪を整え化粧を直したという。
化粧坂の茶堂
化粧坂には茶堂が現存する。
分岐点
茶堂近くの分岐点で、写真右へ進む。
掛端和泉の邸宅
維新の志士・掛端和泉の邸宅。
幕末には多くの同士が立ち寄り時局を談じたと伝えられている。
御幸橋
維新の道のコースにある御幸[みゆき]橋。
見ての通り、屋根付きの橋、渡る人にも優しく夏には涼しく村人達の交歓の場となったであろう。写真左奥が三嶋神社。
手づくり郷土賞の碑
入口の傍には、ここを訪れた司馬遼太郎氏の文が掲示されている。
写真右には手づくり郷土賞の碑もある。
歴史民俗資料館
梼原町歴史民俗資料館。
六志士に関する展示も充実している。
ゆすはら座
資料館のすぐ近くには芝居小屋ゆすはら座が保存されている。
今は梼原町内の各種イベントに使用されている。
維新の門群像
和田城跡に立つ維新の門群像。八志士の銅像は、なかなか迫力がある。これは必見のスポットだ。1995年建立だから司馬遼太郎氏も見ていない。
志士の像
写真左より掛端和泉、澤村惣之丞、坂本龍馬、那須俊平。
志士の像
特に、こちらの四志士の像はリアリスティックかつダイナミック。
写真左から前田繁馬、那須信吾、吉村虎太郎、中平龍之助
維新トンネル~九十九曲峠越え
維新トンネル
大越峠を通過する維新トンネル。写真右にはここを駆け抜けた龍馬と那須父子ら3人のイラストが見える。
梼原みどりの家
梼原みどりの家、健康増進センター付近は少し迷いやすい。やがて木柱をみつけた。維新の道、坂本龍馬・吉村虎太郎等志士脱藩の跡と書いてある。
宮野々番所跡
写真右に宮野々[みやのの]番所跡。写真左へ進むと韮ヶ峠に通じ龍馬脱藩の道(新説)とされる。写真手前の方へ進むと九十九曲峠、吉村虎太郎脱藩の道である。
宮野々番所跡碑
1935年建立の宮野々番所跡碑。碑文には土佐勤皇烈士12人前後、この関所を脱出し国事に奔走...とある。龍馬や虎太郎らの志士に贈位し氏名が刻まれている。
四万川にかかる橋
番所の西、四万川にかかる橋を渡るとやがて写真右手に九十九曲峠の登り口が見えてくる。案内板もある。
初めはかなりの急坂である。
峠道
やがて坂道はゆるやかになる。踏み跡もしっかりしており道標もわかりやすい。
ただ谷あいの湿地の中は踏み跡もなく要注意。
九十九曲峠
ここが九十九曲[くじゅうくまがり]峠。99回も曲がるわけではない。つづらおりのことである。標高830m。かつては宇和島や大洲へ通じる重要な峠であったが今は淋しい峠。あたりに全く人影はない。
勤王志士脱藩石碑
勤王志士脱藩遺跡九十九曲峠と刻まれた石碑[写真右]が建つ。1935年建立のもので側面には郷土史家の短歌 再びと帰りこぬべき故郷を捨てし心はいかにありけん が刻まれている。
高知・愛媛県境
峠から一歩下ると高知県から愛媛県に入る。峠手前の湿地帯で手間取ったので予定より遅刻気味。
宝泉坊温泉へと先を急いだ。
宝泉坊温泉
大浴場と家族風呂がある宝泉坊温泉。
食事も宿泊もOK。すぐ前にバス停がある。
梼原街道歩きコース
コース | ハイライト・見所 | |
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梼原街道 | ||
1 | 高知市内散策 | 高知城 龍馬の生まれたまち記念館 |
2 | 葉山~津野町 | 布施ヶ坂 吉村虎太郎像 |
3 | 津野町~九十九曲峠 | 維新の門群像 九十九曲峠 |
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