梼原街道 一日目の街道歩き旅 [高知市内散策編]
高知市内散策
高知市内
五台山展望台から高知市内を望む
山田橋と番所
江の口川にかかる山田橋。この付近にかつて高札場があり、番所が置かれていた。JR高知駅の南東350mの所。
中江兆民誕生地碑
山田橋のすぐ近くには「中江兆民(1847~1901)誕生地」碑が建つ。
「東洋のルソー」といわれた思想家である。
はりまや橋
ひときわ目をひく赤い橋が「はりまや橋」。もともと豪商の播磨屋と櫃屋[ひつや]が架けた私橋。以前はガッカリ名所だったが、近年面目を一新した。
はりまや橋
その昔、この付近は城下一の繁華街だった。
橋の傍には、ラブストーリーが知られる純信とお馬のモニュメントがある。また付近にはからくり時計もあり、1時間毎(9~21:00)に人形が踊りだす。
立志社跡碑
はりまや橋の西100mの所に中央公園があり、その一角に「立志社跡」碑が建つ。1874年板垣退助が設立した政社である。
隣には「自由は土佐の山間より出づ」の碑もある。
武家屋敷資料館
大川筋にある武家屋敷資料館。
追手筋の日曜市
追手[おうて]筋(高知城の追手門の東)は道100選、街路樹100景にセレクトされている所。
早朝から露店がずらりと並ぶ日曜市で賑っていた。
日曜市
美しい花や植木、食品、野菜、果物、衣料品、骨董、刃物など何でも売っている。この日曜市は伝統があり龍馬が生まれる前から開かれていたとのこと。
ひろめ市場
追手筋に面する「ひろめ市場」にも店が多く気軽に飲食できるので、一度のぞいてみると良い。
山内容堂公碑
追手筋に15代藩主「山内容堂公誕生之地」碑がある。
異才の藩主で安政の大獄(1858~59)で謹慎を命ぜられ、のち公武合体に尽力。また大政奉還を進言した。
山内一豊像
初代藩主の山内一豊(かずとよ)。出身地は黒田城(愛知県一宮市)とか。
関ヶ原の戦(1600)後、土佐に転封された。
追手門
ここが高知城の正門、追手門である。
両側には石垣、門前は桝形[ますがた]になっている。国の重要文化財。
板垣退助の銅像
土佐藩士出身の政治家・板垣退助(1836~1919)。
前述の立志社を設立。自由民権運動の中心人物だった。追手門の近くに銅像が建つ。
千代と名馬
一豊の妻・千代。
鏡箱の底に秘めていた持参金で夫のため名馬を購入したエピソードがある。
これぞ内助の功の典型。
高知城
高知城。
3層6階の天守閣。
黒鉄門
この黒鉄[くろがね]門は儀式の際藩主が出入りした門である。
寺田寅彦邸宅
「天災は忘れたころにやって来る」の警句で有名な物理学者・寺田寅彦[とらひこ](1878~1935)邸宅。
寺田家は土佐藩下級武士の家系だった。
龍馬誕生地
今回の旅の目的の一つは龍馬の足跡をたどること、追懐すること。その第一歩
彼の誕生地にやってきた。
ベンチ[中央]には彼の愛用したピストルマーク。隣には龍馬の写真が飾ってある。
高知市上町
1835年11月15日龍馬は、ここ高知市上町(2丁目)で土佐の郷士・坂本家の次男として誕生した。
11月15日には、龍馬を愛する地域の人々が中心となり誕生祭が行われている。
記念館
2004年3月にオープンした「龍馬の生まれたまち記念館」。「まっことよう来たね」と少年時代の龍馬が土佐弁で歓迎してくれる。
それにボランティアガイドさんも親切に案内してくれる。
記念館の様子
坂本家の「離れ」をイメージした部屋。
日根野道場跡
石碑[右]にある「水丁場」とは水防のため防衛分担区域のこと。この付近に龍馬が修行した(14~19才)「日根野道場」があった。
龍馬を育てた道
道場は鏡川の土手のような所にあった。龍馬宅から歩いて数分の距離。
この周辺には「龍馬を育てた道」という史跡巡りのルートが設定され散策が楽しい。
龍馬郵便局
前述の記念館のすぐ近くにある郵便局。名前もそのものずばり「龍馬郵便局」。
彼の像がお客様を迎える。かれは、どこまでもヒーローなんだ。
山内容堂公の像
山内神社には前述の山内容堂公の像がある。タイトルには「大政奉還(1867)を慶ぶ」とある。肉体強健で頭脳明晰な藩主だった。バックは龍馬も少年時代に泳いだという鏡川。
旧山内家下屋敷
旧山内家下屋敷長屋。
幕末に建てられた、足軽屋敷である。
重要文化財。
下屋敷長屋
東側から見た下屋敷長屋。
土佐藩士や庶民の生活を知ることができる用具や和船が展示してある。
梼原街道歩きコース
コース | ハイライト・見所 | |
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梼原街道 | ||
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3 | 津野町~九十九曲峠 | 維新の門群像 九十九曲峠 |
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