薩摩街道 四日目の街道歩き旅 [米ノ津~佐敷編]

米ノ津~袋駅周辺

薩摩街道 米ノ津~袋駅周辺の地図 米ノ津

米ノ津

米ノ津は古来、陸・海交通の要地で野間ノ関が置かれた所。箱根よりも厳しいと言われた難関。県境近くの前田で街道碑(写真右)を見つけた。

街道の風景

街道の風景

鉄道の沿いの坂道を登っていく。

笹原の茶屋跡

笹原の茶屋跡

笹原の茶屋跡という白い標柱(写真左)が建つ。

車道を越えた向こうに、古道が見える。

街道碑

街道碑

先程と同じような街道碑である。

左奥が街道。樹木に覆われたトンネルのようである。

橋

やがて前方が明るくなり橋が見えてきた。

境橋

境橋

ここが、お目当ての境橋。

文字通り「国境の橋」だ。

ここを渡れば、薩摩から肥後の国。赤い鉄橋(写真上)は肥薩おれんじ鉄道。

街道碑

街道碑

雑草が茂り人々から忘れられたような道だが、どっこい街道は生きている。

石橋

石橋

この石橋は西南戦争後に(1883)架けられたようだ。

それまでは飛石伝いに渡河した。

説明板

説明板

説明板(写真左)によれば頼山陽、西郷隆盛らもこの川を渡ったとある。

街道の風景

街道の風景

ここから先は地元の車も通るのだろう。

はっきり轍が残っている(写真右)

街道碑

街道碑

ここにも古びた街道碑。

古くても、これを見ると安らぐね。

乙女塚

乙女塚

近くにある乙女塚に立ち寄る。水俣病で亡くなった方々の慰霊碑が建つ。

「不知火海の水銀汚染を悼む」(写真左)

街道の風景

街道の風景

再び街道に戻る。

古道の雰囲気たっぷりだ。

袋駅

袋駅

県境付近の歴史の道を訪ねるには、肥薩おれんじ鉄道の袋駅を利用すると便利。肥後八代と薩摩川内を結ぶ鉄道である。

袋駅周辺~新水俣駅周辺

薩摩街道 袋駅周辺~新水俣駅周辺の地図

新水俣駅周辺~津奈木駅周辺

薩摩街道 新水俣駅周辺~津奈木駅周辺の地図

葦北郡芦北町~湯裏駅周辺

薩摩街道 葦北郡芦北町~湯裏駅周辺の地図

佐敷~佐敷太郎峠

薩摩街道 佐敷~佐敷太郎峠の地図佐敷宿

佐敷宿

熊本県南西部の城下町佐敷にやって来た。

八代海に臨む良港を持つ陸海交通の要地として栄えた。

佐敷宿

佐敷宿

佐敷宿新町の町並み。

豊臣秀吉宿泊の地碑

豊臣秀吉宿泊の地碑

大軍20万を率いて島津征伐に向かった豊臣秀吉は佐敷のこの辺りに宿泊した(写真右)。その後、前述の出水を経て川内の泰平寺に至る(1587年)。

高橋家

高橋家

秀吉は往復とも、この高橋家に泊まった。

往きが4月23日帰りは5月28日だった。

佐敷宿交流館

佐敷宿交流館

芦北町薩摩街道佐敷宿交流館。

佐敷城

佐敷城

鎌倉時代に、肥後国人吉の相良氏により築城された佐敷城。

佐敷太郎峠

佐敷太郎峠

薩摩街道を見下ろすように佐敷城があった。

街道の難所佐敷太郎峠(324m)は中央奥の鞍部であろうか。秀吉軍や篤姫(1853)、西郷軍(1877)も越えた峠である。

佐敷城

佐敷城

この佐敷城は戦国時代末期、加藤清正が肥後南部の防衛拠点として築いた。

野坂の浦

野坂の浦

西への眺望(JR佐敷駅方面)。

野坂の浦(写真左奥)が彼方に見える。

佐敷城

佐敷城

薩摩の島津氏の家臣に一時、占拠されるなど激しい攻防戦が展開された。

佐敷城

佐敷城

江戸幕府の一国一城令により廃城となる。

鬼瓦

鬼瓦

「天下泰平国土安穏」の文字が入った鬼瓦などが多数出土し話題を呼んでいる。

これは、その巨大なモニュメントである。

薩摩街道歩きコース

  コース ハイライト・見所
1 鹿児島市内散策 石橋記念公園など
2 西田橋~伊集院 西田橋(石橋記念公園)
3 川内~出水 出水麓武家屋敷群
4 米ノ津~佐敷 境橋、佐敷城跡
5 川尻~熊本城 熊本城
6 熊本市街の散策 水前寺公園、熊本大学
7 田原坂越え 田原坂