野麦街道 野麦峠越え 四日目の街道歩き旅 [野麦峠~川浦編]

野麦の館~川浦まで

野麦街道 野麦の館から川浦の地図

この区間は野麦峠の資料を展示する野麦の館から、野麦峠を歩いて超え、松本までの道中川浦までを紹介する。なお野麦の館は2022年3月に閉館している。

八手観音

八手観音

少し進んだところに八手観音が道沿いに建つ。

分岐点

分岐点

ここからは車道(写真左)と別れ、右手のハイキングコースを歩く。野麦峠までは約4.2km。

野麦峠に向かう道

野麦峠に向かう道

野麦峠に向かう道中。さわやかな景色である。かつて女工たちも野麦峠に向かって歩いた道。

野麦峠に向かう道

野麦峠に向かう道

小川を渡り、森の中へと進む。

道中の風景

道中の風景

9年前は木の橋だった。

平坦な道

平坦な道

このあたりは、まだ平坦であるが、やがて急坂となる。

急勾配の山道

急勾配の山道

急勾配の山道を登っていく。街道歩きというより登山状態である。

野麦集落

野麦集落

写真左奥はるかかなたに野麦集落。かなり高度を上げてきた。

宝来屋

道中の風景

地蔵堂

地蔵堂

前述の車道との分岐から、約1時間で地蔵堂に着く。

ここまでが、かなりハードである。ここで峠越えの女工たちが守り神に手を合わせたという。

乗鞍岳

乗鞍岳

地蔵堂から北を望むと雪をかぶった乗鞍岳(3,026m)が見える。

野麦峠への道

野麦峠への道

地蔵堂から野麦峠までは、比較的平坦である。

峠までは約30分。

残雪の道

残雪の道

このあたりは、急坂もなくここちよい。

5月というのに残雪がある(写真中央と右の白い部分)。

乗鞍岳

乗鞍岳

野麦峠は、指呼の距離にある。登ってきた道をふり返ると、どっしりとした乗鞍岳が旅人を見守っている。

野麦峠説明板

野麦峠説明板

野麦峠前景

野麦峠全景

野麦峠の全景。

写真右端がお助け小屋。

お助け小屋

野麦峠のお助け小屋

お助け小屋

野麦峠のお助け小屋

1841年に建てられたお助け小屋。雪の峠を越えた女工たちが体を休めたところです。現在のお助け小屋では土産物の買い物や食事、宿泊も可能。

野麦峠

野麦峠

野麦峠はダテには越さぬ
一ツァー身のため親のため
男軍人、女は工女
糸を引くのも 国のため
(工女小唄)

野麦峠

野麦峠

野麦峠(1,672m)の撮影スポット。正面に乗鞍岳。右手には明治100年(1968)記念で建てられたあゝ野麦峠の碑。実は、ここまで高山市。2005年の大合併で高山は日本一面積の広い都市になった。大阪府や香川県よりも広い!

政井みねの碑

政井みねの碑

聞くも涙、語るも涙の政井みねの碑。

ここは、峠の展望台でもある。

政井みね兄妹の像

政井みね兄妹の像

摸範女工といわれた政井みねの像。病気で兄の辰次郎に背負われて帰郷の途中、あっ飛騨が見えると言って息を引き取った(1909)。まだ20才という若さだった。

野麦峠の館

野麦峠の館

左手にある野麦峠の館は全国唯一の峠の資料館。

『日本百名峠』は読んだけれど、ここの各都道府県ごとの峠紹介コーナーはビジュアルで検索システムもあるので、大へん興味をそそられた。

乙女地蔵

乙女地蔵

1988年に建立された乙女地蔵。野麦峠を往来した少女たちの姿を彫ったもの。

実に愛らしい。

国境・説明板

国境・説明板

岐阜・長野の国境である。これは長野県側の説明板。

石仏

石仏

寒さと疲労で凍死しした旅人の霊を慰めるため村人が石仏3体を建立した。

そののち・石仏が盗まれた為、信州中条村の住人が再建したもの。

石仏

石仏

少し峠を下ると、また別の石仏が旅人を迎えてくれる。

野麦峠登り口

野麦峠登り口

川浦側からの野麦峠登り口。

中央やや右にあゝ野麦峠のプレートをはめ込んだ石が見える。

あゝ野麦峠

あゝ野麦峠

あゝ野麦峠は山本茂美のルポ文学の名作(1968)。山本薩夫の監督で映画化された(1979:主演大竹しのぶ)。

続編(1982)は三原順子。

道祖神

道祖神

石室付近の道祖神。

祈願交通安全とある。

石室

石室

冬の峠越えは困難で凍死者が出た。厳しい風雪と寒気を凌ぐため、避難小屋として石室が作られた(1825)。
これは復元(1987)されたもの。

野麦街道歩きのコース

コース 区間 野麦街道のハイライト・見所
野麦街道 野麦街道の概要
1 高山市内 重要伝統的建造物群保存地区
2 高山~旧朝日村 美女峠
3 旧朝日村~野麦峠入口 野麦の館
4 野麦峠~松本 野麦峠を越える
4 川浦~松本 川浦
5 松本市内 松本城