塩硝街道 一日目の街道歩き旅 [金沢~湯涌温泉編]
金沢散策~塩硝坂
兼六園
日本3名園の一つで特別名勝の兼六園。もともと金沢城の外郭として城に属した庭だった。右のことじ灯籠は、そのシンボル的存在。琴の弦を支える琴柱[ことじ]に見たてて、こう呼ぶ。
瓢池
兼六園のもっとも低い場所にある瓢[ひさご]池。池の形が瓢箪[ひょうたん]に似ていることから命名された。写真右奥にある海石塔は秀吉の朝鮮侵略の際、加藤清正が戦利品として持ち帰ったもの。
雁行橋
雁行橋
雁行橋[がんこうばし]。雁が列をなして飛ぶさまを表現したもの。1枚ずつの石が亀の甲羅にも見えるため亀甲橋ともいう。
渡橋は不可である。
石川門
国の重要文化財・石川門。
屋根には鉛瓦が使われている。冬の寒さによる破損を防ぎ、防火にもよい。戦時には鉛瓦を溶かして弾丸にするためだったとか。
金沢城
前田家14代の居城だった金沢城。金沢大学キャンパス移転後、整備され今は金沢城公園として開放されている。正面は復元(2001年)された五十間長屋。かつての名城がよみがえった感がある。大槻伝蔵も、このような景色を目にしながら闊歩したであろう。
金沢城公園
極楽橋と三十間長屋。
三十間長屋は重要文化財。
前田利家の像
石川門[写真左]外角に建つ藩祖・前田利家の像。石川門・兼六園周辺は日本の道100選に選定されている。
文豪の像
付近には白鳥路という名の散策路があり、金沢出身の文豪トリオが迎えてくれる。写真左から室生犀星[さいせい]、泉鏡花、徳田秋声
尾崎神社
金沢城の北にある尾崎神社。徳川家康と三代目藩主の前田利常を祀る。かつて北陸の日光と呼ばれたミニ東照宮である。朱塗りの拝殿の扉には徳川家の葵の御紋がちりばめてある。
石川近代文学館
石川近代文学館。香林坊から東へ歩いて2分のところ。3文豪中心に石川県ゆかりの作家の原稿・遺品などが展示してある。手前の碑は旧四高記念碑(1887~1996)。
中央公園
中央公園。近代文学館に右手にある。
その昔、加賀藩の実力者・大槻伝蔵の豪勢な屋敷が建っていた。そののち、藩の学問所が置かれた(1882)。
尾山神社
ライトアップされた尾山神社の神門(重要文化財)。
高さが18m。第3層にある5色のギヤマンのステンドグラスが映える。
芭蕉辻
人・車の多い片町2丁目の交差点に建つ芭蕉辻。
これは芭蕉来遊(1689年)の記念碑で1978年に建てられたもの。この付近にあった宮竹屋に宿泊した。
法船寺
金沢市中央通りにある法船寺。この寺の薬師堂前部は、大槻伝蔵の屋敷の一部を移築したと伝えられている。
明治天皇御野立所跡碑
小立野[こだつの]1丁目の児童公園にある明治天皇御野立所跡碑。ここから約2km、北西にある波着寺は大槻伝蔵が少年の頃、小僧に出された寺である。
塩硝坂
塩硝蔵があった土清水に歩くしか通れない急坂がある。この塩硝坂は、その名の通り塩硝が運ばれた坂である。
写真右に説明板があった。
説明板
えんしょう坂の由来が記された説明板。
道中の風景
急坂が約50m続く。
涌波堤公園
近くの涌波[わくなみ]堤公園内に1974年の石碑が建つ。西に塩硝蔵が、南に火薬製造所があったと明記されている。
塩硝坂~湯涌温泉まで
旧道
県道と別れ、銚子から旧道(塩硝街道)に入っていく。
東浅川小学校
東浅川小(写真左に校庭)付近の旧道
道中の風景
ここで県道(写真手前)に合流する。南側からみると、街道の面影が少し残っている。
朝ヶ屋バス停
銚子から湯涌の、ほぼ中間にあたる朝加屋町付近の景観。
金沢湯涌夢二館
金沢の奥座敷湯涌[ゆわく]温泉にある金沢湯涌夢二館。夢二の作品(短歌、詩、絵画)が展示されている。写真中央は夢二の胸像。
夢二の散歩道
夢二の散歩道といわれる右手の坂道。
登っていくと薬師寺があり、境内には氷室[ひむろ]小屋と歌碑が建つ。
氷室小屋
氷室小屋。大寒の雪をここに詰め込み、その昔将軍家に雪氷を献上し、無病息災と世の平安を祈念した。毎年1月最終日曜日と6月30日に伝統行事がある。
夢二の歌碑
氷室の傍には夢二の歌碑が建つ。湯涌なる山ふところの小春日に眼閉ぢ死なむときみのいうなり。
愛人・彦乃との愛を歌ったもの。
塩硝街道歩きコース
コース | 見どころ | |
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1 | 金沢~湯涌温泉 | 金沢城、兼六園、湯涌温泉 |
2 | 金沢~相倉 | 城端散策、細尾峠、相倉合掌造り集落 |
3 | 相倉~菅沼 | 祖山、菅沼合掌造り集落 |
4 | 湯涌温泉~西赤尾 | 横谷峠、刀利ダム、ブナオ峠 |
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