羽州街道 二日目の街道歩き旅 [大鰐~矢立峠~陣馬編]
大鰐~長峰駅周辺
相生橋付近
大鰐の相生橋付近の景観。大鰐は浅虫と並ぶ東北屈指の温泉街。かつて代々津軽藩主が湯治にやって来たという。
長峰駅周辺~碇ヶ関周辺
碇ヶ関~矢立峠
追分
中央が追分橋。
左は盛岡に至る津軽街道。
追分石
傍らに説明板があり、追分石が建つ。かなり黒ずんで読みづらい。
羽州街道、
右 矢立峠、左 坂梨峠
折橋御番所
この追分にあった折橋御番所。
3つあった碇ヶ関関所[いかりがせき]の中の番所にあたる。
R7号分岐
R7号と分れ右折。
湯の沢温泉方面に向かう。
峠下御番所跡
湯ノ沢の(矢立)峠下御番所跡。
右奥へ進む。
説明板
説明板には、矢立峠の歴史が記されている。峠越えの人物については、羽州街道・概観に補完した。
矢立峠~陣馬駅
明治新道との分岐
直進すると旧羽州街道、つまり明治新道(1877開通)。
歴史の道は古羽州街道の方だから、ここは左折する。
古羽州街道
やはり整備されている。
徐々に高度を上げていく。
古羽州街道
しーんとしている。誰も歩いていない。誰にも会わない道。
説明板
やがて、説明板に迎えられた。
左は吉田松陰の東北遊日記の紹介だった。
この歩き旅は吉田松陰とは逆のコースをたどる。
矢立峠
更に進むと広場に出る。
ここが矢立峠、標高258m。
この直下をJR奥羽本線が走っている(矢立トンネル全長3,180m)。
矢立杉
矢立杉の古株(写真左手前)が残る。これが国境で北(今まで歩いてきた)は津軽領、南が秋田領である。
菅江真澄の碑(写真中央)や船遊亭扇橋の歌碑(写真左)も建つ。
手製の案内板
前述の広場から、坂を少し登っていく。
手製の案内板(写真左)が建つ。
茶屋跡
やがて着いた茶屋跡には吉田松陰の漢詩板が建つ。松陰は南部藩の忠臣・相馬大作の行為を称え、感動し追慕の詩を詠んだ。
吉田松陰の漢詩板
赤穂浪士の再来というべき事件の背景には南部藩の恨み、分家・津軽藩に対する怨念があった。密告があり相馬大作は江戸で捕われ処刑された(1822)。
明治新道
明治新道へもまわることにした。
イザベラ・バード、明治天皇がこちらを通っているからだ。やがて細長い木柱(写真中央)を見つけた。
明治新道
バードが絶讃した峠である。巨大で堂々としている秋田杉を眺め感動したことであろう。
明治新道
何やら説明板らしきものが前方に見える。
明治天皇行幸碑跡
それは、明治天皇に関する説明板だった。
それによると1881.9.11(AM10:30)白馬に乗って到着されたようである。
乗合馬車開通記念標
乗合馬車開通記念標が建つ。
側面には明治22年(1889)7月、青森~秋田を乗り継ぐとある。
矢立峠入口(陣馬側)
ここは陣馬側の入口。
矢立峠とも、これでお別れだ。
街道碑
JR陣馬駅付近の街道碑(写真右)。
分岐
右が羽州街道(大館方面)。
左はR7号。
JRを利用する場合は本数が少ないので要注意。
2時間に1本程度。
羽州街道歩きコースプラン
コース
コース | ハイライト・見所 | |
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羽州街道 | ||
1 | 弘前~黒石の散策 | 弘前公園、こみせ |
2 | 大鰐~矢立峠~陣馬 | 矢立峠 |
3 | 大曲~「平安の風わたる」公園~横手 | 平安の風わたる公園、かまくら館 |
4 | 湯沢~横堀~及位 | 小町まつり、院内銀山、雄勝峠 |
5 | 金山~上台峠~新庄 | 大堰、上台峠、新庄まつり |
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