日田往還/ひたおうかん
日田往還は幕府の九州支配の拠点だった日田を通る街道。
日田往還のルート
<薩摩街道>-(久留米)-(草野)-(田主丸)-(吉井)-(日田)-[伏木峠]-(中津)-<日向街道>
(注)上記以外にも、日田へ集まる道は、いずれも日田往還と呼ばれた。
日田往還の別名
日田往還は中津街道、代官道とも呼ばれた。
日田往還の歴史
江戸時代
天領となり(1686)日田代官所が設置。豊後のほか、豊前、日向、肥前、肥後、筑前など九州6ヵ国の天領を支配した。その後、西国郡代役所に昇格(1759)。このため九州の政治、経済、文化の中心となり、日田への道路網が整備され九州一の繁栄を極めた。
[伊能忠敬]
測量のため石坂峠(伏木峠に同じ)を通過している(1812)。
[頼山陽]
竹田(豊後街道を参照)から日田を訪ね(1818)広瀬淡窓との交友を深めた後、中津に向かっている。途中の名勝耶馬渓は頼山陽の命名による。淡窓自身も日田往還を通り久留米に出て長崎・福岡方面に旅行している(1842、1845)。
明治時代
熊本在職中だった頃、夏目漱石※1も宇佐方面から伏木峠を通り日田に来た(1899)。それは1月のことで吹雪に悩まされての峠越え。おまけに馬に蹴られて転倒。これが本当の「踏んだり蹴ったり」だった。
(※1参照 薩摩街道コース6 熊本大学 )
現代の日田往還
基本的にはR212号が日田往還に相当するが、伏木峠は周辺は国道より北を走る県道(日田山国線)に該当する。
日田往還の意義
物流の道
塩や魚、米・木材が運搬された道。
重伝建、「歴史の道」、「歴史国道」のトリプルが招く魅惑の旅路
日田の美しい町並みは天領時代の栄華を偲ばせる。また市ノ瀬から伏木公園までの約1.3kmには石畳道が残る。日田から近い(約15km西)吉井も重伝建の町だからかなり充実した心に残る旅となるだろう。
日田往還歩き旅アドバイス
「九州の小京都」日田
風情ある豆田の町並みは時間をかけて、じっくり散策したい。
伏木峠
伏木峠へは守実[もりざね]温泉、中津方面のバスを利用するとよい。但し本数が少ないので要注意。
守実温泉は宿泊可能だから、一泊後、耶馬渓へ向かうプランも考えられる。
日田往還歩き旅コース
コース | 見どころ、ハイライトなど | |
---|---|---|
日田往還 | ||
1 | 草野~吉井 | 草野、吉井の町並み |
2 | 日田・豆田町の散策 | 咸宜園、草野本家、広瀬資料館など |
3 | 御幸橋~伏木峠 | 石畳道 |
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