豊後街道/ぶんごかいどう

豊後街道のルート地図

豊後街道 概略地図

豊後街道のルート

(熊本)―(大津)―(内牧[うちのまき])―(坂梨[さかなし])―(久住[くじゅう])―(境)―(今市)―(野津原)―(府内=大分市)―(鶴崎)
全長31里(122km)。旅程の目印として街道には1~31里木が植えられた。
これは現在も、いくつか地名として残る。

豊後の別名

大津[おおづ]街道、鶴崎筋、清正公道

築城の名人・加藤清正が造成・整備した街道

清正は肥後入国(1588)に、この道を通行した。その後、彼は幕府に願い出てキリシタンの多い天草を返上し久住・野津原・豊後鶴崎との交換を許された。そして、これらを結ぶ道を大名行列が通れる程に整備した。彼は今も清正公(セイショコ)さんと敬愛され、この街道の別名にもなっている。

九州を東西に横断し、熊本と畿内・江戸を最短距離で結ぶ参勤交代道

西国の雄藩・熊本藩主の加藤家、細川家が参勤交代に利用した。鶴崎からは大船(藩の御座船・波奈之[なみなし]丸)で大坂へ。あとは東海道を約40~50日歩いた。帰国時は、主に豊前街道を利用している。

雄大な阿蘇・久住の山々の景観、絶景パノラマが楽しめる街道

阿蘇山麓を横断するため峠や坂道が多い難路である。健脚派には、こたえられないコース。とくに歴史の道二重[ふたえ]峠は好感度抜群の見所、歩き所である。延々と続く、つづら折りの急坂の末に現れる大自然の眺望は胸を打つ。しばし忘我の境地。

頼山陽[らいさんよう](1780~1832)が竹田[たけた]の親友を訪ねるため、熊本から通った道

安芸(広島県)出身の儒学者・詩人・歴史家。のちに日本外史を著わした(1827)頼山陽は1818年に九州を約11ヵ月遊歴している。長崎、薩摩を回ったあと熊本から滝室坂を越え竹田に向かった。田能村竹田[たのむらちくでん]との交歓は心地よかったらしく6泊もしている。外には高山彦九郎、吉田松陰、伊能忠敬、坂本龍馬、勝海舟らもこの街道を歩いている。

豊後街道歩きコースプラン

今回の歩き旅

はじめに竹田を訪れた。豊後街道筋ではないが(久住宿から分岐する道を南東へ約10km)、頼山陽が長逗留し、瀧廉太郎ゆかりの城下町豊後の小京都は外せない。あと豊後街道へはJR波野[なみの]駅からアクセスした。

アドバイス

夏の歩き旅なら、阿蘇神社の御田祭り(7月28日)の見学を組み入れると、より感動的に旅になるであろう。ただ、火の国の夏は猛烈に熱いので要注意。体力に自信はないが、二重峠へ行きたいと思う人は、JR赤水駅からタクシーを利用するとよい。頂上付近に車道が通じている。駅から約4kmくらい。

JR肥後大津駅周辺にはホテル、旅館が数軒ある。それに熊本駅へもJRで約40分。途中の水前寺駅周辺にもホテル、旅館が多いので翌日のスケジュールを考慮して決めるとよい。

豊後街道歩きコース

  コース ハイライト・見所
豊後街道
1 豊後竹田市内散策 岡城、瀧廉太郎資料館
2 JR波野駅~滝室坂~JR宮地駅 滝室坂、阿蘇神社「御田祭り」
3 坂下~二重峠~JR肥後大津駅 清正公道、二重峠