秋月街道/あきづきかいどう

秋月街道のルート

(小倉)ー(徳力[とくりき])ー(呼野[よぶの])ー(採銅所)ー(香春[かわら])ー(猪膝[いのひざ])ー(大隈)ー(千手[せんず)ー(秋月)ー(野町)ー(松崎)ー(府中)ー(久留米市御井町)

秋月街道の別名

香春街道、八丁越、八丁道、秋月通、秋月道、大里[だいり]道

秋月街道の歴史

長崎街道よりも古い街道

豊前小倉と築後久留米を結ぶ最短ルートで古代・中世には田河(田川の旧名)道と呼ばれた。

南北朝末期には大内氏が九州平定の主要幹線として使用した。

豊臣秀吉が九州平定した時に通る(1587)

20万の大軍団で大坂を出発した秀吉は山陽道を西進。下関、小倉を経て秋月氏を攻め岩石城を一日で攻略した。秀吉が秋月街道大隈宿(筑前尾熊)に入った直後、秋月種実は降伏している。

参勤交代の道

佐賀の鍋島氏、久留米の田中氏、柳川の立花氏などが利用した。

信仰の道

近世中期からは伊勢神宮、英彦山[ひこさん](標高1,200m 古くから山伏の修験道場の霊峰で福岡・大分県境をなす)の参詣や商人の通行などで賑わった。

街道の起点(終点)久留米は高山彦九郎、青木繁ゆかりの地

上州(群馬県太田市)出身の高山彦九郎(1747~93)はエネルギッシュな勤皇家だった。北海道と四国を除く諸国遍歴の旅に明け暮れ、その行動範囲の広さは後継者ともいうべき吉田松陰に勝るとも劣らない。最後の旅は九州で薩摩入りを果たす。

一方、天才画家・青木繁(1882~1911)は、17才で上京するまで久留米で青春時代を過ごした。

現代

R322号に相当する。

秋月街道歩き旅アドバイス

今回の歩き旅

特に秋月と八丁峠をクローズアップした。「筑前の小京都」秋月は16代約400年間、秋月氏の本拠地だった所。この山紫水明の城下町は重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)にもセレクトされた(1998年)。また八丁峠は標高約500mの秋月街道最大の難所。かつて、この峠の確保をめぐり戦が展開された。歴史を偲びながら石畳の峠道を歩いてみよう。

秋月街道歩きコースプラン

秋月街道歩きコース

  コース ハイライト・見所
1 久留米~大刀洗[たちあらい] 青木繁旧宅、遍照院、大刀洗公園
2 城下町・秋月の散策 目鏡橋、秋月郷土館
3 八丁峠越え だんごあん、石畳の道