篠山街道/ささやまかいどう

篠山街道は平安時代ぼ『山陰道』。京から丹波、但馬、出雲へ行く重要な街道であった。

篠山街道のルート

<山陰道>(亀岡)[旧名、亀山]ー(湯ノ花温泉)ー(赤熊)ー(八田)ー[天引峠]ー(福住)ー(八上)ー(篠山)ー[鐘ヶ坂峠]ー(柏原[かいばら])ー(石生[いそう])ー(氷上)ー(佐治)ー[遠阪峠]ー(和田山)<山陰道>

篠山街道の別名

篠山街道は丹波街道、西京街道、京街道、デカンショ街道、古代山陰道、山陰裏街道などとしても知られる。
注) デカンショ節は、江戸時代に篠山城下で生まれた民謡。8月中旬にデカンショ祭があり盛大に唄い踊る。

篠山街道の歴史

古代の山陰道にあたる

京都の羅城門を起点に丹波国(京都府中部と兵庫県東部の旧国名)では大枝、野口、小野、長柄、星角、佐治、日出、花浪の駅が設置された。駅間距離は約16km(古代30里)。野口、小野、佐治などは今も現在する地名である。

参勤交代の道

篠山街道は篠山藩のや柏原藩参勤交代路であった。

重伝建(重要伝統的建造群保存地区)が2ヵ所

篠山城下町に加えて、最近、篠山市福住地区も選定され(2012年2月)たので、篠山街道の輝きがいやが上にもアップした。誠に同慶の至りである。

街道ゆかりの武将

源義経

兄 頼朝から平氏追討の命を受け京から天引峠を越え(1184)、一の谷に向かったという。

明智光秀

主君織田信長の命を受け、街道筋の八上城主・波多野氏を撃破(1579)。戦功により丹波国を与えられたが、その2年後、本能寺の変を起こす。

篠山街道歩き旅アドバイス

JR亀岡からスタートして1日目は天引で打ち切る(約19km)のが理想的だが天引には宿泊地がない。従ってバス(京阪京都交通)で亀岡に戻るか、福住まで歩き旅を強行して神姫バスで篠山まで行き、そこで宿泊するしかない。ただ、どちらのバスも1日4本程度しかないので時刻には十分注意する必要がある。

今回の歩き旅

石生では、街道筋ではないが水分[みわか]れ公園に寄り道をした。佐治以北のコースは残念ながら割愛した。

篠山街道歩きルートプラン

篠山街道歩きのコース

  コース ハイライト・見所
1 亀岡~福住 天引峠、福住の町並み
2 福住~篠山 河原町妻入商家群、篠山城跡
3 篠山~柏原 木の根橋、柏原陣屋跡
4 石生~佐治 水分れ公園、佐治宿