北国脇往還/ほっこくわきおうかん
北国脇往還について
別名
北国海道
要路を結ぶバイパス
関ケ原からは中山道、木之本からは、北陸道が通じる。つまり美濃と越前を結ぶバイパスだった。
古戦場が広がる
秀吉軍は大垣から関ケ原を経て木之本までの13里(52km)を5時間で走り抜けた。いわゆる秀吉の「大返し」(1583)である。
秀吉は直後の賤ヶ岳合戦で、佐久間盛政を破り、柴田勝家軍を敗走させている。
姉川では、信長・家康連合軍が、浅井・朝倉軍を撃破(1570)。
もちろん、天下分け目の関ケ原合戦(1600)も忘れることができない。街道から外れるが、古戦場めぐりも一興。
参勤交代の道
加賀の前田氏をはじめ、福井、鯖江、丸岡、大野、勝山、小浜藩などの北陸諸大名が参勤交代に多く利用した。
芭蕉の旅
芭蕉の「奥の細道」紀行(1689)の最終章は、敦賀~大垣である。そのルートは明々白々ではないが、芭蕉がこの北国脇往還を通った可能性は高い。
伊能忠敬の測量
忠敬は、1800年から10回に及ぶ日本国内の測量をおこなっているが、第4次では、尾張からこの街道を通り、越前・加賀に向かった。
北国脇往還のルート
〈中山道から分岐〉【関ケ原】ー【玉(たま)】ー【藤川】ー【寺林】ー【春照(すいじょう)】ー【伊部】ー【郡上】ー【木之本】〈北陸道に合流〉全長約37km(概算)

北国脇往還の歩き旅&アドバイス
注意・アドバイス
ここに使用した写真等は、かなり古い(2000年前後)ので、注意されたい。その後、道路が整備されたりして、景観に変化があるかもしれない。尚、市町村名も撮影当時のままである。
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