北国脇往還 一日目の街道歩き旅
〔関ケ原~春照編〕

関ケ原~春照の位置

北国脇往還地図

関ケ原宿の脇本陣

関ケ原駅前の相川宅には、当時の門が残る。
前には「至道無難禅師生誕地」の石碑が建つ。

	関ケ原宿の脇本陣

分岐道標(北国脇往還への案内)

関ケ原町歴史民俗資料館に移設されている。
「北国ゑちせん(越前)道」(左の道標)と深く彫られている。(1718年建)

	分岐道標(北国脇往還への案内)

東首塚

家康が首実検をした東首塚の正面入り口

	東首塚

東首塚

関ケ原の戦いでは多くの戦死者が出た。
その数は不明だが8000~30000人と言われている。

西首塚

	西首塚

関ケ原の戦い(1600年)開戦地

	関ケ原の戦い(1600年)開戦地

石田三成陣地跡

西軍の大将、石田三成が布陣した笹尾山から関ケ原決戦場を望む。

	石田三成陣地跡

奥平貞治の墓

ここ玉(たま)には、東軍の武将 奥平貞治(小早川秀秋の軍監)の墓(左端)がある。

	奥平貞治の墓

玉宿

	玉宿

石垣

見事な石垣が続く玉宿の景観

	見事な石垣が続く玉宿の景観

玉宿

	玉宿

藤川宿

藤川宿本陣付近の町並み

	藤川宿本陣付近の町並み

藤川宿本陣

	藤川宿本陣

寺林の集落

寺林の集落を東西に横断する街道

	寺林の集落

光了寺

親鸞がこの北国脇往還を歩いたとの説明板がある。

	光了寺

道標

寺林宿を示す古びた標柱(右)には、「北国海道」とある。

	道標

石仏

少し進んだ所には、石仏が集合。奈良時代の高僧行基の歌碑(右)も建つ。「ほろほろと啼く山鳥の声聞けば 父かとぞ思う 母かとぞ思う」

	石仏

名水の里 大清水

大清水にやってきた。この辺りに一里塚があるはずだ。
バックは伊吹山。

	名水の里 大清水

野頭観音堂跡

野頭観音堂跡には、芭蕉句碑が建つ(中央やや左)

	野頭観音堂跡

芭蕉の句

「頭巾召せ 寒むや伊吹の山おろし」

	芭蕉の句

日本武尊(やまとたけるのみこと)像

伊吹山をバックに日本武尊像が建つ。荒ぶる神を征伐するため、この伊吹山に登ったという伝承がある。

	日本武尊像

春照(すいじょう)宿

この常夜灯の建つ所を右折する(左端へ)。
ここから春照宿に入る。「中部北陸自然歩道」の碑も建つ。

	春照(すいじょう)宿

ここ春照は旧宿場町。太鼓踊りが有名である。

太鼓踊り

太鼓踊りは大変な人出でにぎわう。
総勢約220人(撮影1989年9月23日)

	太鼓踊り

この太鼓踊りは江戸初期、干ばつに苦しむ農民が雨ごいの儀式として踊ったのが始まりという。

奴の顔には隈取を入れ、胸から腹には絵の具で思い思いのタトゥーをほどこす。

	奴

春照宿本陣跡

	春照宿本陣跡

春照宿

三英傑も通った歴史の道だ。
この春照宿は、たいへん賑わっていたとのこと。

	春照宿

北国脇往還歩きコース

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