朝鮮人街道 二日目の街道歩き旅 [安土散策編]
安土散策
安土町城郭資料館
JR安土駅前にある安土町城郭資料館。
安土駅北広場
安土駅の北広場の景観。
信長像(写真左)が見える。
織田信長像
天下布武をめざし戦国時代の覇者となった織田信長。
ここ安土は、信長の居城がある岐阜と京都の中間点にあたる。
織田信長像(岐阜)
若き日の信長像。
彗星の如く戦国の世にデビューした天才児。[撮影地:岐阜公園/岐阜市]
セミナリヨ跡
日本初のキリシタン神学校・セミナリヨ跡。
イタリア人宣教師オルガンティノにより創設(1581)。
所在地の旧名が大臼(ダイウス=神)というものも興味深い。
羽柴秀吉邸付近
織田信長の天下布武のシンボル安土城。
中腹まで大手道(道の南正面)が真っすぐ伸びている。
左には羽柴秀吉邸があった。
黒金門跡
黒金門跡。
ここには天主(天守)に通じる重要な門だった。
信長公本廟
信長公本廟。
織田信長の遺品が埋めてある。
安土城
天主への階段。
蛇石
重さ100tを超える蛇石が運び込まれたというが見つかっていない。
この伝「蛇石」(右手前)は直径3mしかない。
安土城天主跡
天主跡に礎石が整然と並んでいる。かつてこの上に5層7階の壮大な天守閣がそびえていた。織田信長は、ここで諸大名から祝賀を受けている(1582.1.1)。
本能寺の変、5か月前のことである。
安土城天主跡
天主跡から西への眺め。
眼下の水田地帯はかつての琵琶湖だった。
つまり安土山は半島状に三方を湖に囲まれていた。
摠見寺三重塔
摠見寺[そうけんじ]の三重塔(1454建)。
ここは後述の二王門とともに兵火や火災から免れた貴重な建築物。
摠見寺本堂跡
摠見寺本堂跡からの眺め。
左奥が街道起点の野洲方面。
二王門
摠見寺三重塔から下ってきたところにある二王門(楼門)。
左右の金剛力士像とともに国重文(国の重要文化財)。
百々橋口
城跡の南西にある百々橋[どどばし]口。琵琶湖畔の豊浦港から運ばれた築城資材が、ここから山上まで搬送された。なお、ここからは城跡に入場できない。
大松明奉納神事
4月にある沙沙貴[ささき]神社の大松明[おおたいまつ]奉納神事。
長さ5mの大松明を横に寝かせて若衆が網を引く。
[1988年撮影]
安土城考古博物館
安土城跡から東へ進むと安土城考古博物館が見えてくる。
安土城考古博物館
どことなく中世ヨーロッパ建築を思わせるような印象的なデザインだ。
信長の館
左 文芸セミナリヨ。
右 信長の館。
旧柳原学校
周辺には貴重な歴史遺産が集めてある。
これは旧柳原学校。滋賀県最古の学校建築。
常夜灯・追分道標
逢坂峠[おうさかとうげ](滋賀県大津市、東海道の要地)の常夜灯もある。
左は伏見街道との分岐点に建っていた追分道標。
柳(は)緑 色(は)紅 の文字が見える。春の景色のよいさまを形容しているらしい。
常夜灯・追分道標
視点を変えると
みき(右)ハ 京ミチ
ひたり(左)ハ ふしミ(伏見)みち と刻まれている。
車石
車石という珍しいものも展示している。
これは牛車専用のレールのようなもの。これがないと街道が荒れ、使用困難になるので道路の片側にだけ敷いた(大津~京都間)。
須田の景観
能登川町南端、須田の景観。
繖山(きぬがさやま)の山麓を街道は、ほぼ一直線にのびている。
朝鮮人街道歩きのコース
コース | ハイライト・見所 | |
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