陸前浜街道 二日目の街道歩き旅 [五浦~平潟~勿来編]
五浦~平潟~勿来まで
風船爆弾放流地碑
思いがけない碑に遭遇した。「風船爆弾放流地碑、忘れじ平和の碑」。太平洋戦争末期、米国本土に向け放流され約300個が偏西風に乗って到達したという。オレゴン州で6人死亡した。
平潟漁港
平潟漁港の景観。奇岩(写真右)が印象的だ。
平潟洞門完成記念碑
平潟洞門完成(1778)の記念碑。これにより勿来へ行く道が、大変便利になったようだ。
平潟帰帆歌碑
勿来海水浴場に「平潟帰帆」歌碑が建つ。「昆布とりの真帆はいぬめり雲の嶺」(沾梅[せんばい])
長塚節歌碑
少し離れた勿来関入口の脇(写真右)には長塚節の歌碑が建つ。「もののふの過ぎしいそわのあたなみを勿来の関とひとはいふなり」(1896)。
歴史文学館
勿来の関は蝦夷南下防止のため設置された。「来る勿れ」という意味にちなんで命名された。正面は歴史文学館。
源義家歌碑
「吹く風を勿来の関と思へども道もせにちる山桜かな」源義家。
松尾芭蕉句碑
松尾芭蕉の句碑も建つ。「風流のはじめやおくの田植うた」。但し、これは須賀川で詠んだもので、勿来には来ていない。
源信明歌碑
風情ある「詩歌の古道」。左は源信明(910~970)「名こそ世に、なこその関は行きかふと人もとがめず名のみなりけり」。
源義家歌碑
ここにも源義家の歌碑が建つ。
斉藤茂吉歌碑
斉藤茂吉も新妻とここを訪れている(1915)。「みちのくの勿来へ入らむ山ぞひに梅干しふくむあれ(私)と阿がつま(私の妻)」
勿来関
そして、これが「勿来関」跡碑。白河、念珠とともに奥州三関の一つである。
勿来の関公園
これが実は勿来の関公園の入り口だった。
源義家像
入口付近には源義家(1041~1108)の像が建つ。陸奥守鎮守府将軍として奥州の豪族清原氏討伐に向かう(後3年の役)。
陸前浜街道歩きのコース
コース | 見どころ、ハイライト | |
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1 | 十王坂、五浦の散策 | 十王坂、五浦美術館など |
2 | 五浦~平潟~勿来 | 勿来の関公園 |
3 | 勿来の熊野祭り | (国重要無形民俗文化財) |
4 | 相馬~旦理~岩沼 |
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