竹内街道/たけのうちかいどう

竹内街道 概略地図

竹内街道とは

竹内街道は「五畿七道」以前の官道で、古代王権の地・大和と河内を結ぶ日本最古の国道である。

竹内街道のコース

竹内街道は堺市大小路[おおしょうじ]を起点とし河内平野を東進する。
三国ヶ丘、金岡を経て松原市に入る。羽曳野市古市で東高野街道と交差する。このあたりから南東に向きを変え太子町を通過。
竹内峠を越えると当麻町(現・葛城市)に入る。

竹内街道は長尾神社がゴールで全長26km

長尾街道とは

長尾街道も古い歴史を持つが、竹内街道の約2km北をほぼ平行して東西に通じ、長尾で竹内街道に合流する。

堺と竹内街道

竹内街道 風景摂津、河内、和泉の3国の境に位置したことが堺になったといわれる。

堺は海に向かって開け、地理的利便性に優れていたので、商業の拠点として発展した。それに伴って、堺を中心に河内、和泉、大和への街道が発達した。

竹内街道、西高野街道、熊野街道(小栗街道ともいう)、紀州街道などが特に有名である。

竹内街道の意義

  • 石の道・・・旧石器時代、石器の材料としてサヌカイト(讃岐石)をもとめて人々は二上山をめざした。
  • 文化の道・・・シルクロードの終着点に向かう最終行程として大陸の珍しい文物がもたらされた。
  • 信仰の道・・・聖徳太子信仰の中心地・叡福寺参り、大峰・高野・熊野・伊勢への参詣、四国三十三カ所巡礼。
  • 経済の道・・・大和と河内を往来する商人たちによる物資交流。

竹内街道の歴史

古代の竹内街道

古代には丹比道[たじひみち]と呼ばれ、初の女帝・推古天皇が整備した大道(道幅 約30m)がルーツ。

これは「日本書紀」にも記録されている[613年]。朝鮮半島や大陸(隋・唐)の使者も、この「大道」を通って飛鳥の朝廷を訪れた。

江戸後期・明治時代の竹内街道

江戸時代後期には竹内街道は主幹道として整備され、旅籠や茶店が軒を連ねた。

「竹内街道」という名称は明治以降に使われた。今は「大道」の面影は全くないほど細い道となったが、奈良と大坂を結び重要な街道であった。古市から東はR166号とほぼ重なる。

竹内峠を越えた歴史上の人物

  • 聖徳太子(何度か越えたはず)
  • 小野妹子らの遣隋使・遣唐使
  • 松尾芭蕉(河内に向かう)
  • 吉田松陰(大和の儒家を訪ねる)
  • 中山忠光ら天誅組(志果たせず、ここに逃亡。吉野に転戦)

竹内街道コースガイド

竹内街道 街道碑と道標

竹内街道は健脚派なら一日で踏破できない行程ではない。

竹内街道を歩く計画

ほぼ中間地点の古市で区切り、一日目は堺市内観光(旧堺灯台、妙国寺、山口家住宅など)。

二日目は竹内街道歴史資料館や二上山登山を含めてゆっくりとウォーキングした方が望ましい。

  コース ハイライト・見所
1 堺市内観光~古市  
2 古市~当麻  

竹内街道の周辺情報