吉野山参詣道 三日目の街道歩き旅 [金峯神社~西行庵~宮滝万葉コース編]
金峯神社~西行庵
金峯神社
古くから黄金の守護神として信仰を集める金峯神社。藤原道長参拝(1007)の記録が残る。
源義経隠れ塔
境内に建つ源義経隠れ塔。弁慶らと身をひそめていたが追手が迫り、天井を破って逃げたという。
道標
分岐点に建つ道標。どちらをとっても西行庵に通じる。
大峯奥駈道
西行庵への道は大峯奥駈道でもある。
西行庵への道
西行庵へは、ここを下っていく。
石畳
この石畳の道が西行庵への道だ。
西行庵への道
いかにも古道らしい雰囲気。恐らく西行の頃には、この道はなかったのであろう。
紅葉
これは紅葉の頃。吉野には四季それぞれの良さがある。
桜
吉野の桜に陶酔していた西行。「吉野山花のさかりは限りなし 青葉の奥もなほさかりにて」
桜
「吉野山 やがて出でじと思う身を花散りなばと人や待つらむ」西行
桜
散る花と一緒に心中したいとさえ思う西行。「願はくば花のもとにて春死なん そのきさらぎの望月のころ」
紅葉
これも紅葉の頃。
西行庵
奥千本にたたずむ西行庵。毎年のように吉野の桜を見るために訪れた西行を偲んで作られたもの。
西行像
西行(1118~90)はここで3年間侘び住まいをしていた。中には西行像が安置してある。
苔清水
「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居[すまい]かな」と西行が詠んだ苔清水。松尾芭蕉の句碑(写真右)が建つ。
宝塔院跡への道
西行庵から宝塔院跡へと向かう。
宝塔院跡
ここが宝塔院跡で分岐点になっている。左(道標の向う側)が西行庵方面。
休憩所
この辺りは休憩所もあり「報恩大師修行之霊所跡」碑(写真右)が建つ。ここは左奥へ進む。
女人結界碑
愛染の分岐に建つ女人結界碑(写真中央)。これより先は女人禁制である。都からここまで苦難を共にした静と義経が涙にくれながら別れた所。悲しいロマンスの愁嘆場だった。
道標地蔵
傍には道標地蔵が建つ・「右、大みね山 左、せいめいがだき」とある。「せいめいがだき」とは蜻蛉の滝の別称のようだ。
蜻蛉の滝
[参考写真]高さ約50mから落下する蜻蛉の滝。せいれい(トンボ)伝説から名づけられた。
石畳の道
蜻蛉の滝に至る石畳の道。芭蕉や本居宣長もこの滝を訪ねている。
青根ヶ峰
この上が青根ヶ峰(858m)。吉野山の最南端にあたり奥駈道につながる。
大峯奥駈道
大峯奥駈道は、このマップにあるように1,500m級の山々が連なる険しい修行の道。西行も2度参加している。
宮滝万葉コース
稚児松地蔵
さて、ここからは吉野・宮滝万葉コースである。上千本から宮滝遺跡に向かう。稚児松地蔵(写真右上)を右に見て少し登る。
指示標
素晴らしい自然の中の山道を歩く。指示標は整っている。
象の小川
象[きさ]の小川は喜佐谷の杉木立の中を流れる渓流。青根ヶ峰や水分神社の山あいに水源を持つ。
象の小川
万葉集の歌人大伴旅人も「昔見し象の小川を今見ればいよいよ清[さや]けくなりにけるかも」と詠んだ。
宮滝
約5kmの古の道もほぼ終り。喜佐谷川はやがて宮滝で吉野川本流に合流する。
宮滝遺跡
「万葉の道」のフィニッシュは宮滝遺跡。ここは吉野離宮跡といわれ持統天皇(女帝)は31回も行幸されたようだ。
浄見原神社
[参考写真]宮滝から約3km北東にある浄見原[きよみがはら]神社では毎年、旧1月14日に国栖奏が奉納される。壬申の乱の時、国栖の人々は大海人皇子(のち天武天皇)に味方して、この舞を奏したという[1989年2月撮影]。
アカガエル
神前にアカガエル(写真中央)が供えられるのが珍しい。昔、国栖の地ではアカガエルも食用であったらしい。なお、このアカガエルは神事のあと食べたり殺したりせず元の所へ戻してやるとのこと。
吉野山参詣道歩きのコース
コース | ハイライト・見所 | |
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1 | 桜橋~蔵王堂(金峯山寺)~吉水神社 | 蔵王堂、吉水神社 |
2 | 中千本~吉野水分神社~高城山 | 吉野水分神社 |
3 | 金峯神社~西行庵~宮滝万葉コース | 金峯神社、西行庵、象の小川、宮滝 |
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