吉野山参詣道 一日目の街道歩き旅 [桜橋~蔵王堂(金峯山寺)~吉水神社編]
桜橋~蔵王堂(金峯山寺)~吉水神社
桜橋
吉野山へ参詣するには、先ず吉野川を越えねばならない。この桜橋は、かつての桜の渡し付近に架かる。中央奥に本善寺(上市御坊)が見える。
柳の渡し跡
[参考写真]こちらは柳の渡し跡。今の美吉野橋の西にあり、道標を兼ねた石灯籠が建つ。
吉野町飯貝
吉野町飯貝の町並み。前述の本善寺のすぐ西にあたる。
吉野神宮
吉野神宮にやって来た。吉野で波乱の生涯を閉じた後醍醐天皇をまつるため明治天皇が創建(1892年)。
御野立所跡碑
七曲りの桜が望める所には、昭憲皇太后(明治天皇の后)御野立所跡碑が建つ。眺望は抜群だ。
松尾芭蕉句碑
その反対側の斜面には松尾芭蕉句碑が建つ。芭蕉は2回吉野を訪れた(1684,1688)。
七曲り下千本
ここが七曲り下の千本。このあと標高が上がるにつれて中千本、上千本、奥千本と呼ばれる。
攻ヶ辻
ここ攻ヶ辻は、かつて南朝軍と幕府軍が激突した三叉路である。左に道標が建つ。
道標
「右いせ道」「左かうや(高野)道」
大橋
朱塗りの大橋。今はコンクリート製だが、南北朝時代は戦略上の橋だったという。
黒門
金峯山寺の総門は木造の門。黒く塗られていることから黒門という。
黒門
かつての貴族や大名でさえ、この黒門で下馬し、駕籠をおりて通ったという。
黒門坂
土産物屋が並ぶ黒門坂の景観。
銅の鳥居
黒門坂を登りつめた所にある銅[かね]の鳥居。
日本3大鳥居の一つ(他に宮島の浮鳥居、四天王寺の石鳥居)。
さこや
黒門のすぐ南にある吉野温泉「さこや」(写真右)。
さこや
この「さこや」は吉野山でもっとも古い歴史を持つ老舗旅館。本居宣長や頼山陽など多くの文人墨客が訪れた。
吉野温泉元湯
これより先、600mほどの吉野温泉元湯には若き日の島崎藤村が長逗留し(1893年)、「訪西行庵記」を執筆している。
金峯山寺蔵王堂
やがて吉野山の中心金峯山寺[きんぷせんじ]蔵王堂が見えてきた。大仏殿に次ぐ規模の木造建築だ(高さ約28m)。
根本道場
石碑に記されているように修験道根本道場だ。この仁王門は国宝である。
仁王門
仁王門には5mを越える仁王が睨みをきかす。
仁王像
この力感あふれる傑作は仏師庚成の作(1338、39)
蔵王堂
前述の仁王門と背中合わせの蔵王堂(国宝)。手前は鎌倉幕府軍と戦った護良親王(後醍醐天皇の第2皇子)の陣地跡。
蔵王堂
木造建築では奈良の東大寺大仏殿に次ぐ大きさといわれる。毎年7月7日には、ここで奇祭蛙飛び行事がある。
吉水院
吉水院[きっすいいん]への道・神仏分離(1869)により吉水神社となる。
吉水院
源義経が雪の凍る吉野路を落ちのび(1185.11.17)、5日間滞在した吉水院(金峯山寺の僧院)。それ以上の滞在は危険なため再び追手を避けて身を隠す。
吉水院
南北朝時代には後醍醐天皇の行在所となる。つまり南朝(吉野朝)の皇居であった。
吉水院
豊臣秀吉がここを本陣として盛大な花見の宴を催した。「年月を心にかけし吉野山 花の盛りを今見つるかな」と詠む。
吉水神社
吉水神社の境内。
蔵王堂
眼前には蔵王堂が迫る。
吉野山参詣道歩きのコース
コース | ハイライト・見所 | |
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1 | 桜橋~蔵王堂(金峯山寺)~吉水神社 | 蔵王堂、吉水神社 |
2 | 中千本~吉野水分神社~高城山 | 吉野水分神社 |
3 | 金峯神社~西行庵~宮滝万葉コース | 金峯神社、西行庵、象の小川、宮滝 |
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